正を履んで畏れず!! 言葉のチカラを信じている
戦前 "ダルマ宰相" として親しまれた高橋是清は爵位をなげうって衆議院選挙(大正13年)に出馬した際に「生を踏んで恐れず」との言葉を残した、と言われている。〔津本陽著『高橋是清の生涯』幻冬舎〕
何とはなしに気にかかっていた語句だったが、つい先だって、宅島壽雄さん(宅島グループ会長)から「履正不畏」という色紙を見せてもらって調べているうちに、ようやくその出典と意味がわかった。
平凡社刊『字通』(白川静著)によれば、「履正」(りせい)とは、正道を行うこと。続いて〔三国志、魏、崔林伝〕…云々とあったが、察するところ「正しいことを行おうとする時に恐(畏)れるな!!」という教えだろう。
今日から本欄を借りて今流行の「ブログ」風のエッセイを週に二、三回のペースで掲載させていただくことになった。最初にお断りしておくが、本欄はあくまでも「意見広告」のスペースであって、島原新聞社の編集とは一線を画すものである。文責はあくまで私個人である。
この先、どういった方向に進むかはまだ決めかねている。ただし、商売柄、色々な分野の人とお会いする機会も多いので、その時々で、感動したことや気に入ったフレーズ、箴言などがあれば、積極的に使わせていただくこととする。
なぜこのような企画を思い立ったか、について少し語っておこう。多くの方々もそうだろうが「とにかく今の世の中は狂っている」としか言いようがない。
連日のように報道される尊属殺人、カネの亡者たちの言動…。
かく言う私にしても「聖人君子」にはほど遠い欠点だらけの「不良中年」だが、少なくともハートはある。本当に拙い文章だが、このうっ積した思いを何とか読者の皆さんにお伝えしたい。その一心である。
先日、久しぶりに上京して山手線に乗った。そこで見かけたのが、朝日新聞の車内広告。そこには「ジャーナリスト宣言。」と題して、こう記されていた。
<言葉に救われた。言葉に背中を押された。言葉に涙を流した。言葉は、人を動かす。私たちは信じている、言葉のチカラを。>
人目もはばからずデジカメに収め、復唱した。「そうだ、言葉はチカラなのだ」。バカボンの父ちゃんに良く似ている、と言われるが、高村薫風に言うと、「私は確信をもって "ひとりごちた" 」のである。
これは余談。是清は初代特許庁長官で総理、蔵相のほか日銀総裁も務めたが、その生涯は米国農場の奴隷、芸者遊び、ペルーでの銀山開発の大失敗などと波乱に富んでいる。福井俊彦さん(現総裁)は若いうちに遊んだのだろうか!?
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