2006/07/06

橋本龍太郎元総理逝く 禍福はあざなえる縄の如し

 橋本龍太郎元総理が一日、死去した。先輩の中曽根康弘氏(88歳)や宮澤喜一氏(86歳)のことを思えば、「68歳」という享年は早すぎる気がする。ともあれご冥福を祈る。

 ところで、橋本さんで思い出すのは鐘ヶ江管一さん(元島原市長)の話。災害当時、橋本さんは大蔵大臣だったと記憶しているが、必死で "特別立法" の必要性を訴える鐘ヶ江市長に対して「生活保護(法)があるじゃないですか」と、ニベもなかったとか!?

 苦みばしったマスクとクールな物言いが一時期世間を席巻した。小泉現総理の「純ちゃんブーム」に先行して、橋本さんは、その気位の高さを象徴するかのように「龍さま」と呼ばれ人気を博した。

 島原入りしたこともある。久間章生衆院議員(現自民党総務会長)の応援演説だったと思うが、大手広場で拍手を交わした松井大助前島原市議会議長の娘さんが「もうしばらく手は洗いません」。

 趣味は、プロはだしのカメラと剣道。息子さんも慶応大学の剣道部に所属し、島高から早稲田の政経に進んだ、セブンストーンのバアチャンの孫息子(全日空勤務)と関東学生剣道連盟の運営で親しくしていた、との話も思い出した。

 それにしても訃報を聞いて「人間の運、不運」を思った。片や "卒業旅行" でお気に入りのプレスリーナンバーを口ずさむ小泉総理。一方で不起訴になったとはいえ、献金疑惑の中で人生の幕をおろした橋本元総理。奇しくも二人とも慶応OBだ。

 訃報と言えば、島原城薪能復活の牽引車だった赤星政之助さんも去る六月十一日、九十六歳で天寿を全うした。何度か取材したことがあるが、視線の鋭さに似合わず、やさしい口調で話される方だった。

 普賢岳災害から十五年が経って、人々の記憶も段々と薄れてきている気がするが、先の橋本発言があった当時の島原は街全体が "殺気立って" いた。

 「湾岸戦争にはあれだけの巨費をつぎ込みながら島原の住民を見殺しにするのか」「特別な災害なのになぜ特別立法を制定しないのか」?。街には「不安」と「不満」が充満していた。

 そうした "住民の率直な思い" をいち早く察知して動き出したのが呉服の丸三社長の高橋三徳さんだった。島原新聞紙上でまず高橋さんが先陣を切り、次いで赤星さんが論陣を張った。こうした動きが後の「島原生き残りと復興対策協議会」の誕生へとつながったのである。

 高橋社長が逝ってもう三年。水無川流域は見事に復興し、噴火前より活気づいている人々さえいる。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」。小泉総理もいつまで鼻歌まじりの人生が続くのだろうか。