情けない、情けない… - 過つは人の性、許すは神の心 -
のっけから恐縮だが、前回(20日付)の記事の中で「勝負は非情」と書くべきところを「非常」と書いてしまった。情けない…。
で、本日のテーマと相なった次第だが、人は往々にして間違う動物だ。筆者などはその典型で、しょっちゅう「神様」ならぬ「カミさん」から怒られている。
その考えに立つと、九月の自民党総裁選で優勢が伝えられる安部晋三内閣官房長官が「再チャレンジ社会の必要性」を強調しておられるのは、何となく嬉しい気がする。
ところで、久々に週刊文春(7月20日号)を買って読んでいたら、作家の猪瀬直樹氏が朝日新聞の記事をヤリ玉にあげている文章に出くわした。
『ニュースの考古学』というレギュラーコーナーで、同氏は朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」を「冗談じゃねえよ」と切り捨てている。同宣言とは、本連載を始めるに当たって紹介した「言葉に救われた。」から始まる同社の一連のキャンペーンコピーだ。
猪瀬氏は『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した気鋭のジャーナリスト。最近では道路公団民営化推進委員としても活躍。辛口のコメンテーターとしてテレビにも良く出ているので、ご存知の方も多いだろう。
同氏はその博学と多識をベースに、古今の事例を引きながら、川端康成や大宅壮一が通った旧制茨木中学(大阪)の名物教師、多門力蔵先生の教育論を紹介している。
《いま君たちはじっと我慢しながら根を深く伸ばすときである。早熟なるべからず》《生徒諸君、ただいまより "読め、書くな教" を開くぞ》-。
大体にして出版社系の雑誌は新聞記事に対し批判的だ。文藝春秋社の月刊誌『諸君』(7月号)でも "アンチ朝日宣言" の特集が組まれていた。
筆者も本稿を書き始める直前まで「まーた始まった」とくらいに考えていたが、根が単純で素直なものだから、たちまちにしてそのロジックに丸め込まれてしまった。情けない…。
が、「読書百返」の気合で何回か読み直しているうちに、この記事そのものが批判の矛先である朝日(整理部)と同じ過ちの渦中に置かれているのではないか、と感じた。
見出しや構成は記事を読ませるための "技術" に他ならない。朝日を批判する文春が、その矛盾に気づいていないはずはない、と思う。
いずれにしても私は断然、朝日の「ジャーナリスト宣言」を支持する。時に、我が愚息は件の名物先生と同じ名前なのだが、一向に書物を読んでいる気配がない。嗚呼、情けない…。
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