2006/08/13

ボクサー人生色々 - "真っ白な灰" になること -

 砂守勝巳は一九五一年、沖縄に生まれた。父はフィリピン人、母は奄美大島の出身。

 十五歳で母を亡くした砂守は、幼い頃フィリピンに帰国した父と逢いたい一心でボクシングの道を志す。有名になれば、父の方から名乗り出てくるに違いない、と考えたからだ。

 大阪に出て働きながらジムに所属。チャンピオンを夢見て練習に励んだが、結果は4回戦ボーイどまり。その後、職を転々としながら写真の世界へと入っていった。

 島原へは「ぎょうせい」(出版社)の委託を受け、噴火災害の最中に訪れた。茫漠たる土石流の原野に佇み「カシャッ」「カシャッ」と寡黙にシャッターを切った。

 そのうち写真の才能に加え、類いまれなる文章力が認められ『沖縄シャウト』(講談社)が出版された。一九九六年、写真集『漂う島とまる水』で第15回土門拳賞を受賞。

 一昨年、久々に島原の地に立った砂守氏。災害復興の軌跡をたどる「プレジデント社」の企画で訪れたのだが、その表情は見違えるほど明るかった。聞けば、パンチドランカーの症状が治ったのだ、という。

 久々に旧交を温めるべく、その夜は一緒に痛飲した。翌朝、彼は「米国で亡くなった息子さんの墓にお参りしたい」と長崎新聞社の松平和夫社長夫妻に会いに行った。

 現在、那覇在住。撮影のかたわら、地元紙の「沖縄新報」に定期的にコラムを書いている。

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 小泉首相が野党々首の執拗な追及に対し「人生色々…」とかわしたことはまだ記憶に新しいが、その発言の無責任ぶりはさておくとしても、ボクサーの生き方も色々である。

 むかし「東洋タイトルマッチ」とか言う番組があって、ラウンド終了ごとに「郡司さんの採点」というコーナーあった。ボクシングの世界は良く知らないが、亀田三兄弟はどう見ても "作られた偶像" のような気がする。

 "あしたのジョー" こと矢吹丈は "真っ白に燃え尽きて" 去って行った。漫画の主人公と現実の世界王者を比較することの無意味さは重々承知はしているが、今回の判定には何かしら "白けきった" 感想しか持てない。

 年齢の壁を乗り越えて三度目の世界チャンピオンに返り咲いた輪島功一。貧困の極から這い上がりながらもユーモアのセンスでは他の追随を寄せ付けないガッツ石松。そして写真の世界でチャンピオンになった砂守勝巳…。

 他にも素晴らしいボクサーは沢山いるだろうが、筆者の極めて貧困なボクシングの知識からしても、亀田父子の言動からは "人間としての魅力" は伝わってこないのである。