2006/07/27

母娘でスリップ17年 - パンツ普及は白木屋火災から -

 プラスナイロン島原工場が二年連続で「ワコール最優秀工場」に輝いた記事を取材するため、先日、同工場を訪れた。

 広々とした構内は整理整頓が行きとどき気持ちが良かった。従業員の真剣な、無駄のない動きを目のあたりにして、連続受賞もむべなるかな、と思った。その時、伺った話から - 。

 ワコール社のホームページによれば、創業者、故・塚本幸一氏(京都商工会議所元会頭)は滋賀県生まれの、いわゆる「近江商人」の典型のような人物だ。

 ある日、社長宛に高知県在住の女性から小さな小包便が届いた。開けてみると、確かに同社製のスリップが入っていた。

 同封の手紙にはこう添え書きがあった。《このスリップは、亡き母と娘の私で計17年間にわたって着続けてきたものです。しかしながら、全然型崩れもしておりません。ありがとうございます。云々》

 感動した塚本社長(当時)は早速、幹部を集めてこう訓示した。「素晴らしい。これは取りも直さず、我が社の製品価値が高く評価された証しだ」。

 と、その後でポツリ。「一つ製品を永く着て下さることはメーカー冥利に尽きるが、さすがに17年間もとなると、新製品が売れないよなぁ…」。そのスリップは今でもワコール本社に飾ってある、という。

 話は変わるが、筆者が以前買った「手相」の本によると、塚本会長(当時)と筆者の手相はうり二つだ。グラビアに掲載されていた写真と見比べたもので、掌の中心部から薬指に向けて伸びる「太陽線」の在りようがそっくりなのだ。

 その本によれば、「太陽線」は事業成功者特有のもので、何人か周囲の人々の手相を見せてもらったが、ほとんどと言って良いほど見かけない。

 何も「手相」だけで人生が渡っていけるほど簡単でないことぐらい重々承知してはいるが、何とはなしに嬉しいものである。したがって、プラスナイロンの今回の受賞ニュースは、筆者にとっても "我が事" のように嬉しいのである。

 話はまたまた飛ぶが、我が国で女性がパンツ(昔はズロースと言った)をはくようになったきっかけは
昭和7年の白木屋百貨店(後の東急日本橋店)の火災と言われている。

 四階、玩具売場から出火。当時の女店員は和装でパンツをはいてなかった。腰紐などでこしらえた "命綱" をつたって避難しようとしたが、眼下には火事見物の多くの野次馬。

 風が吹く。嗚呼、見られてしまう…。恥ずかしさの余り、裾の乱れを直そうとして転落する女性が続出した。パンツ普及の陰にはこんな "悲劇" もあったのである。


1 Comments:

At 22/6/07 13:53, Anonymous 匿名 said...

白木屋の火災で下着が主流になった話は都市伝説なんですよね。フランスでも以前にそのような話がありましたし… こういった話はたびたび人が納得するような形で広まっていくみたいです。ちなみに落下して亡くなった女性の多くは脱出失敗による本人の事故で、多くの女性店員は消防により救助されたと言われています。ちなみにこの火災での死者は14名ですからそんなに多くのと言ってはいけませんが、このことから日本の女性が下着をつけるようになったとは到底思えない話ですよね?調べてみるとこの真実を語っているHPも多くありますのでネットなどで探してみてください。

 

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