2006/08/18

縁とは異なものだ - 早く花を咲かせて香蓮ちゃん -

 NHK巡回ラジオ体操がお盆中日の14日早朝、復興アリーナ裏の多目的広場であり、二千五百人を超える参加者で賑った。

 筆者もごくたまに早起きして、島原城のラジオ体操会に参加するのだが、やはりスケールが違った。背後に有明海、正面に平成新山を臨むサッカー場には生気がみなぎり、実に気持ちが良かった。

 思えば、今を去ること六年半ほど前、同一会場でモトクロスの全国大会を大雨の中で開催した。当時はまだ石ころだらけで、まずはそれらを拾うことから会場造りが始まった。

 それが今や芝目3cmもあろうかという、ふかふかの極上ピッチである。一際目立つ "赤シャツ姿" でやって来た吉岡市長も「皆さんもコートの中に立つ機会は少ないでしょうから、その意味でも良かった」と満足げ。

 文藝春秋8月号にサニーサイドアップ社長の次原悦子さんが『私だけが知る中田英寿の孤独』と題して寄稿している。そう、先ごろサッカー日本代表を退いた、あの「ヒデ」(同社所属)の話だ。

 次原さんとは数年前、小浜の宅島壽雄さん(宅島建設社長)のご自宅で会った。たまたま何かの週刊誌を読んで名前だけは知っていた。美人だったので、肩を組んで写真も撮った。

 実際に話をしてみると、随所に「なるほど!!」と唸らせる鋭い感覚の持ち主だった。サニーサイドアップとは英語で「目玉焼き」のことだが、今では水泳の金メダリスト、北島康介やテニスの杉山愛などが名を連ねる。まさに「目を見張らせる」らつ腕ぶりだ。

 次原さんが最初にプリデュースしたのはトライアスロンの宮塚英也選手だった。記憶に間違いがなければ、宮塚選手は確か北有馬町出身で、島原新聞でも幾度か取り上げたことがある。縁とは異なものだ。

 さて、お盆も過ぎた。子どもの頃、亡くなった祖母が良く五木の子守唄を歌っていた。<おどま盆ぎり盆ぎり、盆から先きゃ、おらんどー。盆が早よ来ぅーりゃ、早よ戻る>。

 何となく物悲しい歌詞とメロディーに涙ぐんでいたことを覚えている。長じて学生時代は東京にいてFMラジオで聴いた「島原の子守唄」にも泣けた。

 小林旭が例の甲高い声で歌っていたが、孤独な都会生活で荒んでいた心をやさしく包んでくれた。改めて名曲だと思った。

 その作者、宮崎康平先生のお孫さんである、宮崎香蓮ちゃん(島一中一年)が第11回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞に耀いた。

 「花あれば花あるごとく、花なくば花なきごとく、土よ生き抜け」。早く立派な大輪の花を咲かせて下さい。花なきおじさんの切なる願いです。