2006/08/23

早実の優勝に "予感" - 訂正!!松商エースは生きていた -

 「からたちや 皆みんな やさしかり」 - 。我が家の渡り廊下には、先年亡くなった、平尾みさおさんが遺した俳句の絵皿が飾られている。

 毎朝、母屋へ移動する度に、お元気だった頃のご慈顔を想い出す。もう一つの日課が、郵便受けに無造作に入れてある、ご主人の平尾圭太さん名の封筒の受け取りだ。

 中身は当然のことながら、俳句の原稿だが、「今朝も元気にラジオ体操に行かれたのだなあ」と、安堵の胸をなでおろす。

 その原稿とともに新聞各紙を取り出す。今朝の新聞(22日付)には、早実の「悲願の初優勝」が大きく取り上げられていた。

 何せ、あの「松山商業VS三沢」(昭和44年)以来、37年ぶりの引き分け再試合の決勝戦を制しての薄氷の勝利である。

 21日夜の報道ステーションの特集では、ミニタオルで顔の汗をふきながら、クールに、時に気迫あふれるピッチングで栄冠をつかんだ斎藤佑樹投手にインタビューしていた。

 「チームの仲間を信じて思い切って投げました」と、ピッチング同様、丁寧な受け答えだった。番組では、同投手が群馬県出身で、身の回りの面倒を見てくれる兄と東京で二人暮らしをしている様子なども紹介していた。

 平尾さん夫妻と斎藤兄弟。俳句と野球は正岡子規で近いと言えば近いが、まったく異なる境遇での「愛情」の在りように心温まるものを感じた。

 脈絡はないが、早実の優勝にはある種 "予感" を感じていた。このところ、何とはなしに「早稲田」が勢いづいていたからだ。

 平成18年度上半期の芥川賞、直木賞の三人の受賞者はいずれも早稲田出身者だ。筆者も島原稲門会会長として素直に嬉しい。早実のユニフォームは大学と同じだし、校歌の作詞者も『都の西北』と同じ相馬御風先生だ。

 ところで、島原稲門会は物凄い勢いで高齢化が進んでいる。昨年だったか、海望荘で総会を開いたが、たまたま会場が同じだった福岡大学の同窓生の数と若さの前に圧倒されてしまった苦い思い出がある。

 大先輩のお話は補聴器の善し悪し、前立腺系の病気の情報交換等と相場が決まっている。早実の優勝を機に、少し若返りを図ってみたい気もする。来たれ!!若き早稲田マン(ウーマン)よ。

 最後に訂正。松山商業のエース井上明さん(明治→朝日新聞)は元気でご活躍、とのことだった。深くお詫びして訂正したい。

 勝手に命を奪って弁解の余地もないが、いつだったか西川清人さんの法要があり、その折二度ほど、実兄の直人さんが "仏様" にされた事例もある。お坊様も読経の誤り。いわんや不良中年をや、だ。