2006/08/26

ガンバレ島商サッカー - モム君になれないマモちゃん -

 先日早朝、舞岳の水を汲みに千本木の県道を車で走っていたら、白いユニフォーム姿の軍団が歩道をランニングしていた。

 胸のネームを見て、島商のサッカー部員であることが分かった。高総体を終え、秋に向けての強化訓練の一環であろう。

 隣の雲仙市には常勝「国見高」が聳えている。その存在は目の前の「焼山」、背後の「平成新山」より高い日本一の「富士山」かも知れないが、決して征服できない高さではない。ガンバレ島商!!

 ところで、以前本欄でも紹介したが、島商サッカー部が全国制覇を果たした直後の、昭和60年当時の凱旋パレードを映した8mmフィルムが見つかった。

 撮影者は元島原市職員の横田一彦さん(坂上町在住)。映像には、島商サッカー部の生みの親である、江口覚太郎先生をはじめ、鐘ヶ江管一市長、園田秀利教育長(故人)、小嶺忠敏国見高前校長らの顔が収まっている。いずれも若い。

 それにしても大変な盛り上がりようだった。紙吹雪が舞う大手広場には、これまでのどの選挙でも見たことがないようなヒト、ヒト、ヒト…の波。「パワー全開」といった感じだ。

 放送は8mm→DVD変換・編集作業後の九月初めを予定。臨場感を出すために、ちゃんと「収録音」も入れている。

 想えば、この頃の島原市内の高校スポーツ界は「意気盛ん」だったような気がする。翌61年には島原中央高校が夏の甲子園初出場を果たした。

 もう亡くなってしまったが、イトー家具社長の伊藤喜八郎さんが、面識間もない筆者を捕まえて「アタンも寄付してくれなんへ」と、なけなしの万札をブン取って行った。懐かしい思い出だ。

 当時、筆者はまだ肥ってはいなかった。ところが今や、立派な「メタボリック症候群」(内臓肥満)の一員と化した。

 友人の及川政治氏(元ターザン編集長)が週刊現代で四回にわたって、自らを実験台にして対策方法を論じていたが、不良中年にとっても、笑えない現実である。

 先日、日曜日の深夜情報番組で体脂肪率10%前後の男性を「モム君」と称して、紹介していた。実際に計ったことはないが、筆者の場合は軽く30%を超えているだろう。

 「モム君」は合コン出でモテモテだった。「ならば!!」と、秘かにトレーニングを思い立ってはみたものの、この暑さでは…。

 名前も「モム君」には向いていない。そう私は「マモちゃん」だった。伊豆大島にいる5歳の甥っ子から時々、写真付のメールや電話がかかってくる。

 「マモちゃん、あんまりお酒飲み過ぎたらだめよ」。ハイハイ…。