2006/11/08

〃オオカミ中年〃の悲哀 - 誰一人信じてくれなかった -

 いやー久々に興奮したと言うか、感動した。他でもない、6日夜に確認された平成新山(普賢岳溶岩ドーム)の〃赤い炎〃に、だ。

 一報を受けたのは、会議を終えて帰宅した直後の午後9時前。「まさか!?」と思ったが、信頼できる筋からの情報だったので、すぐに確認を急いだ。

 その間に、二度目の情報提供が舞い込んだ。「間違いない!!」。アドレナリンが急速に醸成された感じで、気分は一挙に16年前(平成2年11月)までぶっ飛んでしまった。
 
社員、親しい写真仲間、報道関係者…などなど、手当たり次第に電話をかけまくった。ところが、誰一人として信用してくれない。皆、口をそろえたように言うのだ。「また、酔ってるの?冗談も程々にね」 - 。極めつけは、長崎市内在住の放送記者。

 「はいはい、貴方も良く知っている元国家公務員と代わりますから」。「えっ、清水さん。久しぶり。何、噴火!?冗談はヨシコさんですよ。○○弁護士と代わります」。「もしもし、笑わせないでよ。君もこっちに飲みに来たら」。

 嗚呼、どうして俺の言っていることを分かろうとしてくれないんだ?本当に噴火の再開だったら、どうするんだ?傍らでは、我が家のクサンチッペが「ほらほら、普段からウソばっかし、ついちょるけん。オオカミ中年(イソップ物語)が、ちょいちょーい」。

 少し悲しくなったが、何はさておき〃現場〃を確認しないことには!!若手の社員を九大の観測所に走らせ、自身はモノ好きの三男を伴って撮影ポイントの大野木場へ駆けつけた。

 パトカー数台がたむろしていた。緊迫感はない。十六夜の月明かりを頼りに目を凝らすと、暗闇の中に〃赤い炎〃がハッキリと見えた。撮影は後追いしてきた西川清人さんの遺児、完(まもる)君に任せた。

 雲行きで少し見えにくくなったので、山の寺に移動した。消防署幹部、谷口助役(島原市)らがすでに待機していた。電話等で得た情報等を総合すると、どうやら「高温の火山ガスが燃えている」らしい。

 噴火再開の可能性が高いなら「徹夜」も辞さない覚悟でいたが、雨も降り始めたので諦めて帰った。車に乗った途端、さっきまで元気ハツラツだった息子はカクンと眠りこけた。

 もちろん、実際に体験したような「長期大規模災害」の再来だけは絶対に御免だが、山の活動でこうも元気が出るのはなぜだろう。ひょっとして普賢さんは「お前たち、油断したら駄目だぞ!!」と教えてくれているのかもしれない。

 寺田寅彦先生曰く「天災は忘れたころにやってくる」。ふと先ごろ亡くなった米原万里さんの大宅賞作品を思い出した。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』。これは面白かった。