2006/10/25

国語教育への疑問も - 古典の〃滋味〃なぜ教えない -

 今の教育要綱では分らないが、初めて「古典」に接したのは中三の頃だった。確か〃油断大敵〃がテーマの『高名の木登り』(徒然草、吉田兼好)だったような気がする。

 有名な序段を教わったのは、もちろん高校に入ってから。《つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ

 藤本さんは兼好が影響を受けた先達の文人を、時代が300年もさかのぼる清少納言や、西行、鴨長明などと分析。その心境については、250年後に『随想録』(エセー)を著したフランスの哲学者、モンテーニュに相通じるものがある、としている。

 藤本さんの父親は成功した大阪商人だったが、45歳の時に戦災に遭い、全財産を失った。それが原因でうつ病になり、さらに結核を患う。10年で快癒するが、晩年には癌に冒されていることが判る。

 手術後、その父が晩酌の席でしみじみと言った。「わしは、自分の人生をもう一度見直してみたい気になった」。その後、2年がかりで全国の鉄道を走破する。その間にも癌は進行し、肝臓に転移していた。

 《身を養ひて何事か待つ。期する處、たゞ老と死とにあり。その來る事速やかにして、念念の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しみかあらん》=第74段。「この文に接して、父の心境が初めて分かった」と藤本さん。

 「友人」について語っているくだりも面白い。《同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなき事も、うらなくいひ慰まんこそうれしかるべきに。さるひとあるまじければ、露違はざらんと向かゐたらんは、ひとりあるこゝちやせん》=第12段。

 何と含蓄溢れる人間観察だろうか。「お互いに相手を傷付けないでいようという心配りが同じように働いてこそ、友情は成り立つものだ」との解説も光る。

 「麻」の話も見逃せない。「麻の中の蓬(よもぎ)」「麻につるる蓬」?などという兼好の時代(14世紀)の諺だが、もともとは『十訓抄』という説話に収められているもの。

 その心は「蓬は通常横にはびこるが、麻の中ではその余地を奪われ上へ伸びていくしかない」ということから転じて、「善人に交われば、その感化で特に高い教育を受けなくても善人になっていく」という例え。

 筆力不足で取りとめのない話になってしまったが、藤本さんは「古典には〃滋味〃、生きていく上での〃知恵〃がある」とした上で、受験技術しか教えようとしない我が国の国語教育の現状を皮肉っている。

 確かに我が身を振り返ってもそうだ。おっと、また上田先生に叱られるかな!?