「佐藤岩」は無いぞ!! - 馬場先生が "仕掛人" だった -
昨報の「岸信介岩」の記事を読んでいただいた大先輩の山本悌一郎さん(緑町)から "命名" にまつわる裏話を聞いた。
山本さんによれば、事の起こりは地元の青年団が、郷土出身の代議士、馬場元治先生(元建設大臣、南串山町出身)に一枚の写真を送ったことから。
馬場先生は「岩の形が岸総理に似ている」という便りをたずさえ、早速官邸に写真を持参した。一目見るなり、総理は「本当に私と瓜二つだ!!」。
そこから先が、いかにも政治家らしい話で、「今はそっくりだが、波に洗われ続けると、首の部分から崩壊してしまうかも…。縁起でもない」ということになって、即座に補強工事の予算がついた、という。
以上が「岸岩」(正式にはこう呼ぶらしい)誕生の?末だが、後に総理となる弟の佐藤栄作さんがこの話を聞きつけ、「『岸岩』があるなら、『佐藤岩』があってもおかしくない。何とか私のも探してくれんか、馬場君」と泣きついてきた。
佐藤総理と馬場先生は旧制第五高等学校(熊大の前身)の同級生で、大変に仲が良かった。当時の五高には二人の「佐藤姓」がいて、色の黒いのが「黒砂糖」、白いのが「白砂糖」と呼ばれており、佐藤総理は前者の方だった。
親友からのたっての願い事ではあったが、馬場先生は即座にこう言って断った。「島原半島には無いものは無いくらい色んなモノがある。黒砂糖だってある。でも、さすがに君に似た岩だけは無いなあ…」と。
ところで、今回の自民党総裁選で安倍晋三官房長官に敗れはしたものの、麻生太郎外務大臣はインターネットの世論調査でトップに立つなど、巷間に一定の存在感を植え付けた。
以前にも書いたが、麻生外相の母方の祖父は、日米講和条約を取りまとめた、戦後を代表する大宰相の吉田茂氏。今でも選挙区の老舗旅館「城西館」(高知市)には吉田総理が飲み残したオールド・パーのボトルが大切に保管されている、という。
その吉田政権を裏で支えたのが、白洲次郎氏(一九〇二~八五)。エッセイストとしても知られた白洲正子さん(一九一〇~九八)の夫だ。いま、その「白洲次郎」がちょっとしたブームになっている。
曰く「GHQを叱り飛ばした男」「外車(ベントレー)を乗り回し、初めてジーパンをはいたスタイリッシュな日本人」。知る人ぞ知る "伝説の人" だ。
本日は行数が足りないので、また稿を改めて書かせていただくことにするが、とにかく "痛快な" 人物である。今の政財界にもこんな "快男児" がいればなあ、とも思う。
蛇足だが、白洲正子さんの生家(伯爵家)は今の自民党本部が置かれている永田町一丁目だ。
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