私家版『ちょっといい話』 - 厭な世間は笑いでぶっ飛ばせ!! -
森本元成さんが本紙にご寄稿いただいている『ちょっといい話』を愛読している。折にふれ示唆に富んだ内容で、さすがに年輪の重みを感じる。宮崎和子さんの『ひとくち説教』にも毎回脱帽している。
ところで、恐る恐る始めた本稿の連載も30回を超えた。当初、パリー装飾の横田啓さんから「どうせ10回も続かんでしょ」と揶揄されたが、まだまだ続きますよ。「ヒロシ君、オイもやっときゃ、やっとばない!!」。
とは言ったものの、 "ネタ" に苦労することも度々だ。本日などはその典型で、「なんば書けば良かっじゃろかい?」と悩みに悩んでいる。
『ちょっといい話』で思い出すのは、演劇評論家の戸板康二(といた・やすじ)さんのエッセイだ。戸板さん(1915 - 93)は東京・芝の生まれ。祖母は戸板学園の創始者で、自身は慶応国文科に学んだ折口信夫門下生の一人。
その切り口は "洒脱な都会的エスプリ" が身上とされているが、田舎には田舎ならではの "面白さ" がある。それでは私家版『ちょっといい話』の類いを幾つか - 。
【その1】もう10年も20年も前のこと。安中青年団10数人が上京した。食事の時間になり、都心のレストランに入った。
「いらっしゃいませ」。洗練された出迎えでテーブルに着いた一行。綺麗に磨かれたグラスや無数のナイフやフォークを前にしばし "無言" の状態が続いた。
余りにオーダーが出ないので〃不審〃に思ったウエイターがおもむろに近づいてきた。「ヤバイ…」。"気の利いた" のメンバーの一人が思い切って口を開いた。
「あのー、とりあえずメニューを」。と、「オイもそっで良か」「オイも」「オイも」…堰を切ったような "仮注文の嵐" が吹き荒れた、という。
【その2】南島原市布津町がまだ「布津村」だった時代。博多で行われた何かの祝い事の席での話。こちらは和食コース。
当時はまだ「おしぼり」という習わしは一般的には普及していなかった。一行は何やら白い湯気を上げている "白い物体" を怪訝な面持ちで眺めていた。
すると、ここにもいた "パイオニア" 。その人が沈黙を破って発した言葉は「さあ、冷めんうち、早よご馳走になろーで!!」。
この手の話は罪がなくて良い。まだまだストックもある。筆者も次男を連れて東京に行った際、不思議な光景を見た。それはホテルのシャワーキャップを被って雨の中を歩いている20人ほどの中国人旅行団の人々だった。
拝啓、石原・東京都知事様。中国人を「支那人」と呼んだり、九州を田舎扱いしては、いずれバチかぶりますよ。本当に。敬具。
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