「真」の字はどんな意味 - 野球の表記は「の・ぼーる」から -
早実優勝がらみの本稿を読んだ我が家のクサンチッペ(?)が、「正岡子規と野球て何ね?」と訊いてきた。ならば、答えて進ぜよう。
子規は慶応3年、伊予松山に生まれた。幼い頃は「升」(のぼる)といった。ベースボールを最初に「野球」と翻訳したのは、中馬庚(ちゅうまん・かなえ)という鹿児島出身の人だが、子規はその幼名をもじって「の・ぼーる」(野・球)としゃれた。
自身も「結核で喀血して病に伏す直前まで、捕手としてプレーしていた」ということで、2002年には「野球殿堂」入りを果たしている。
余談だが、子規の誕生日は9月17日。亡くなったのが9月19日。35歳という早世だった。ちなみに坂本龍馬は、生まれた日も死んだ日も同じ11月15日。こちらは33歳。
さらに蛇足。筆者の誕生日は昭和30年9月18日。かつてのアイドルスター、郷ひろみはちょうど一月遅れの10月18日。(関係ないか!?)
さて、今日から9月。机の前の暦(義妹提供)は『字通』編者の白川静さんの世界を平凡社がまとめたものだが、めくってみると、8月の欄は「まこと」の特集だった。
「真」「誠」「信」「実」そして「端」。いずれも「まこと」と読むらしいが、筆者の名前にある「真」については、こう記してある - 。
「真」の旧字は「眞」で、「匕」と「県」からなる。「匕」は「化」のもとの字で、人が逆さまになった形で「死者」をあらわす。「県」は?死者、不慮の災難にあった行き倒れの人をいい、首を逆さまにした形。(オイオイ、本当かよ??)
?死者の呪霊は特に激しいので恐れられ、これを祭所におき(?)、その霊を鎮めた。「真」とはその呪霊が虚妄でなく、つねにその威霊を発揮することから、真実にして永久のものを意味する語となった。(フー、安心した!!)
子規で思い出すのは何といっても司馬遼太郎の『坂の上の雲』だろう。同じく松山出身の秋山好古(よしふる)・真之(さねゆき)兄弟らとの青春群像を描いた傑作だ。
兄は陸軍大将、弟は海軍中将として活躍したことで知られるが、分野こそ違え、子規も文学(俳句)の世界で〃壮絶な戦い〃を繰り広げた人だ。
病床にあっても、決して明るさを失うことなく句を詠んだ。筆者の誕生日に辞世の三句を遺している。「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」「をととひのへちまの水も取らざりき」「痰一斗 糸瓜の水も間にあはず」。
昨日、島原市議の山下博正さんから「朝顔に 釣瓶とられて貰い水」が有明で見つかった、との連絡をいただいた。こちらは子規ではなく加賀千代の作品だが、早速、取材に行こ!!
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