2006/09/08

時よ親王を守って下さい - 愛育病院前には多くの報道陣 -

 東京都港区南麻布五丁目6番地。秋篠宮・紀子様ご夫妻の第三子、皇室にとって実に41年ぶりの男児のお子様「親王」がお生まれになった「愛育病院」のある場所だ。

 所属する日本ケーブルテレビ連盟の緊急集会とことし4月に亡くなった「廣井脩先生(日本災害情報学会前会長)を偲ぶ会」に出席するために、久々に上京している。

 5日朝、会社を出ようとした直前に「親王ご誕生」のテロップがテレビ画面に流れた。帝王切開の予定日だったから判っていたこととはいえ、母子ともにご無事で何よりだ。

 実は「愛育病院」には思い出がある。別段、関係者が入院していた云々とかではなく、よくその周辺を散歩していたからだ。

 道一つ隔てた所に有栖川宮記念公園。こちらは5丁目7番地。宿舎に近かったので、朝早く起きて少しのぞいてみたが、鬱蒼とした木立や水のせせらぎなど、その風情は30年近く前と少しも変わっていなかった。安心した。

 ヒグラシなどのセミ時雨が降り注ぐ中、テレビ各社のカメラが列をなしていた。蚊も多いらしく、足元から蚊取り線香が白い煙を上げていた。

 報道によれば、母子は4階にいらっしゃる、とか。警視庁警官に訝られながら、持参したデジカメのシャッターをそっと押した。齢50を超えても、まあ物好きである。とは言っても、国民的話題である以上、やり過ごすのはもったいない、と考えた。

 この前から脱線に脱線を重ねて下宿の話ばかりを書いているが、実は "5年生" の時には恵比寿に住んでいた。今でこそサッポロビールのホテルなどができてオシャレな街という印象が強いが、筆者が居た頃は何とも形容しがたい "中途半端" な土地だった。

 山手線で渋谷から一駅。地下鉄に乗れば六本木、赤坂方面へも至便。地の利は抜群だったが、ビール工場から伝わってくる「酵母」の臭いには辟易していた。

 我が青春の街近くの病院で「親王」がお生まれになった。報道陣がたむろしている。ふと十数年前の噴火災害当時、「島原生き残りと復興対策協議会」で国会や官庁などへ請願に出向いたことを思い出した。

 あの頃は手書きの原稿をファックスで送っていた。今は写真だって簡単に送ることができる。便利になったもんだ。

 宿舎への道すがら、先日買ったイルカのCDに収められている『時の子守唄』という曲の歌詞が浮かんできた。調べてみると、島原でお会いしたことがある荒木とよひさ氏の作品だった。健やかお育ちいただくことを心から願って、その歌詞の一節を捧げたい。

 <あどけない その寝顔 どんな夢 見てるのかしら 時よ この子を 守って下さい