廣井脩先生を偲ぶ - 人間味溢れる不世出の社会学者 -
その数およそ400。「救急の日」の9日夜、東京・市ヶ谷のアルカディア6階ホールは溢れんばかりの人出で埋まった。東京大学大学院情報学環教授で日本災害情報学会々長を務めていた「廣井脩先生」を偲ぶ会に出席してきた。
祭壇正面には、従四位、瑞寶中綬章の勲章を従えるかのように焼酎の四合ビンが2本。先生とは10年程前、弁天町の「網元」で初めて直に会った。2人きりだった。筆者もかなりピッチが早い方だが、先生のそれは遥かに凄かった。
しかも、割り水なしのオンザロック。「美味いねーこの刺身。スリ身揚げも最高だねー」。その晩は瞬く間に2本を空け、お開き。勘定はワリカン。全国紙やテレビに出て難題の解説をしている東大の先生が、こんなにも気さくなオッサンだったとは!!
本郷の研究室を訪ねたこともある。赤門に近い薄暗い部屋だった。「おー、良く来たね、清水ちゃん。ここに座っといて」。この時初めて国立大学では「係長」のことを「掛長」と呼ぶことを知った。
この晩も飲んだ。先生はお気に入りの「神の河」の四合ビンに、赤いクコの実を入れていた。聞けば、先生の "特製ボトル" とか。自分の生い立ちやマスコミ報道全般についても色々と話をしてくれた。
「僕の田舎は群馬の山の中。ミズバショウの尾瀬に近いんだ」「実は僕はパソコン・オタクで、いつもキャリー・バックに入れて持ち歩くんだけど、細かな振動がマシーンには良くないらしいんだ」。
そんな先生から一度だけ褒められたことがある。2年半程前、地震の震動を予測する、文科省系の実証実験を島原で行った際、本社のIP告知システムが大きな役割を果たしたことについて。
この時は、記者会見の模様がヤフーのトップページで紹介されたこともあって、先生からすぐ「やったね、清水ちゃん。もっとガンバレ!!」などと激励の電話をいただいた。
この緊急地震速報システムは "実用化" に向けさらに研究が進んでおり、今月8日付の朝日新聞『ニュースがわからん』のコーナーでも詳しく取り上げられている。
会場では懐かしい顔ぶれとも多数出会った。池谷浩・元建設省河川局砂防部長)松井宗廣・初代雲仙復興工事事務所長ら、ともに普賢岳噴火災害と戦った面々だ。
その中の一人、共同通信社の所澤新一郎記者(夫人は有家町出身)がしみじみ呟いていた。「もう廣井先生のような人間味溢れる社会学者とは出会えないでしょうね」。
今年4月15日、直腸ガンのため死去。享年59歳。日本災害情報学会の来年度の大会は、島原市で11月に開かれる。合掌。
1 Comments:
おそらく清水さまの執筆でしょうか。廣井脩さんの原稿を読ませていただきました。私も廣井先生の人柄を忘れることの出来ない1人であります。災害弱者への心、そして、接する我々への配慮、惜しげもなく、接する方々へさらけ出す、はにかみと人間性など、廣井先生を偲ぶ会も沢山の方々がいらっしゃった風景、やはり、廣井先生ならではでした。きっと廣井先生のはにかんだ笑顔を私は、一生忘れないでしょう。この気持ちを共有できて、かつ、人を守るための防災を守っていく方々と、私は今後も地道に大切にお付き合いしながら、たまにクコの実の入った神の河を飲みながら、自分を励ましていきます。11月の島原における災害情報学会大会、参加できれば、ぜひよろしくお願いします。
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