四季を「色」で表すと - 吾いまだ「木鶏」にあらず!! -
自身51回目の誕生日は台風13号の対応に追われた。30歳を迎えた頃はまだ独身。35歳から十年近くは、普賢岳噴火災害の取材で走り回っていた。
そして迎えた50代だが、早くも一年の歳月が過ぎた。何事も成しえないまま半世紀余。このまま徒に馬齢を重ねていって良いのか、悔恨の日々が続く。
さて台風一過。晴れわたる青空を見上げて、確かな秋の訪れを感じた。日本は四季の国で、季節それぞれに「色」がある。
春は青、いわゆる「青春」。夏は「朱夏」という。秋はご存知、北原「白秋」。冬が雪ではなく、黒の意で「玄冬」というのは意外だった。
相撲の世界でも同じように「青房」「赤房」「白房」「黒房」と、吊り屋根の方角を定めている。ちなみに「青房」は北東方向。
元々この色分けは、古代中国から伝わった「四神」(北=玄武、南=朱雀、東=清竜、西=白虎)に由来するもので、中央に位置するのが「皇帝」を表す黄色。紫禁城の屋根瓦が黄色いのはこのためだ。
まあ、堅い話はこれくらいにして、筆者が幼い頃の角界のスターといえば、栃錦に初代若乃花。テレビが一般に普及し始めた昭和三十年代中頃の話で、取り組み後の再現方法は「分解写真」と呼ばれていた。
次におとずれたのが大鵬、柏戸が活躍した「柏鵬時代」。この2人より力量は劣ったが、後に協会理事長となった本県出身の横綱佐田の山も忘れてはならない存在だ。
あの頃の力士は色んな個性派がそろっていた。内掛けの名人大関琴が浜、相撲界の紳士と呼ばれた天草生まれの大関栃光、もみあげの根性大関北葉山…枚挙にいとまがない。
しかるに今の大相撲は、国際色豊かになった反面、国技としての面白みは少なくなってきたような気がする。その点、島原出身の下田君には存分に "個性" が発揮できる関取に早くなっていただきたい。
時代はさかのぼるが、前人未到の69連勝を成し遂げた大横綱双葉山は熱心な法華経の信者で、ある意味 "哲学者" だった。
勝負を前に揺れ動く自らの心境を戒めた有名な言葉がある。「吾いまだ木鶏(もっけい)にあらず」 - 。巧みな日本語を操るいまの外国人力士も立派と言えば立派だが、いかんせん "深み" が感じられない。
昨夜(18日)は、愚妻と、漢字が苦手な三男の3人でバースデーケーキをいただいた。と、ここにもデジタルの時代が来ていた。「5」と「1」の数字をデザインしたロウソクが用意されていたのだ。
食べ終わってそのロウソクを捨てようとしたら、三男が「僕の15歳の誕生日に使うから取っといて!!」。まだ一年半も先の話なのに…。三男はサリン事件の日に生まれた。
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