『旅する巨人』への旅 - 改めて注目される宮本常一 -
先週末、山口県を挙げて開催されている『第21回国民文化祭やまぐち2006』(今月12日まで)に出かけてきた。
主たる狙いは、例年参加している、『全国・山頭火フォーラム』(今年は防府市が会場)へ顔を出すことだったが、ついでに周防大島まで足を伸ばした。
実は、周防大島に渡ったのは二度目。15年ほど前、島原から柳井に転勤した、先輩記者一家を訪ねた際に案内を受けた地だ。
JR山陽本線・大畠駅を下りると、大きな鉄橋が架かっている。ちょうどその日(五日)は民俗学者、宮本常一(みやもと・つねいち)の業績を伝える『アイランドフェスティバル』が、郷里の東和町で開かれていた。
貸切同然のマイクロバスに乗ったら、案内の男性が「この橋は地元出身の佐藤栄作元首相の尽力で出来たんですが、最近、福島県知事で同じ呼び名の人が逮捕されて、迷惑していますよ」と苦笑していた。
いま、『旅する巨人』こと、宮本常一が再び見直されている。歩いた距離は地球4周分にも相当する16万キロ。「記録したものしか記憶にとどめられない」と、遺したフィルムは10万コマ。
師匠格の柳田國男(やなぎた・くにお)が「白足袋」の民俗学だったのに対して、宮本はリュックに傘を差し込んで、「ズック靴」で全国を巡った。
資金面で面倒を見た渋沢栄一の孫、渋沢敬三(日銀総裁など歴任)が評した有名な言葉がある。「日本の地図を白地図にして、宮本君が歩いた足跡を赤インクでたらしていくと、日本列島は真っ赤になる」。
自身が〃島育ち〃だったせいか、その足跡は佐渡や壱岐、対馬など離島を中心に辿られているが、「島原半島にも昭和39年に現れた記録がある」と、島原市役所災害対策課長の平尾明さんから教わった。
宮本の業績を知るには未来社から刊行されている全集をはじめ、『忘れられた日本人』(岩波文庫)など枚挙にいとまがないほどだが、「単なる学問の領域にと どまらず、辺境の地の産業振興策にまで発展させている」点が他の追随を許さない。その原点は、父が遺した「十カ条」によるところが大きい、という。
1.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ - 。2.新しく訪ねていった所は必ず高い所へ上って見よ - 。3.金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのがよい - 。4.時間があったらできるだけ歩け - 。5金は儲けるより、使うのが難しい - 。(以下10まで続く)
ノンフィクション作家の佐野眞一さんはその人となりを、「旅で得た豊富な知識を、郷里(地域)のために恩返しする『世間師』(しょけんし)だった」と称している。
まだまだ語り尽くせないので、いずれ改めて。
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