中越地震から4年…たまたま出張先で遭遇
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
今週は出張続きで、すっかりご無沙汰してしまった。最低でも1週のうち3回は自らに義務付けているので、今日出稿すれば、その〃ノルマ〃は果たしたことになる。
佐賀県であったCATV業界関連の会議は社員に任せて、2泊3日の日程で関東方面へ出かけた。昔からそうだが、飛行機の座席に着くと途端に眠たくなるのはどうしてか?
移動の時間を利用して書類の整理や読書などにいそしみたいと思うのだが、ついウツラウツラとしてしまう。目覚めた時には機内サービスも終わっていることが多く、何だか損をしたような気分だ。
今回の出張のメーンは新潟県内での関係先との打ち合わせだったが、たまたま訪問した23日は、「中越地震」の発生から4年が経過した記念日であった。
雲仙市に次いで来年の「全国棚田サミット」の開催地に決まった十日町市を皮切りに小千谷、長岡の両市を回ったのだが、夕暮れ時になって急きょ「旧山古志村(長岡市に編入)に行こう」という話になった。
途中、信濃川中流の「妙見堰」という所に立ち寄って、消防レスキュー隊による感動的な〃男児の救出劇〃が繰り広げられた近くの現場も案内してもらったが、復興工事が順調に進んでいることもあって当時の面影は余り窺えなかった。
そこから山道を抜けるように走って、10分ほどで旧役場庁舎に着いた。辺りには多くの報道陣がたむろし、弔いの蝋燭の炎を掻き消すかのように、テレビカメラのライトが眩いばかりの光を放っていた。
多くの区長の皆さんに混じって、村長から衆議院議員に転じた長島忠美さんの巨躯が見えた。隣席には和歌山県田辺市長の真砂克敏さん。
「はて、どうして?」と素朴な疑問が脳裏をかすめたが、挨拶を聞いてみて納得した。近い将来必ず訪れるであろう「南海沖地震」を想定して、関係を蜜にしているのだという。
その南海沖では、島原市出身の小林照明さんがグループリーダーを務める海底探査船「ちきゅう」が来年3月から本格調査に入ることになっている。周囲の喧騒をよそに、何かしら「災害列島日本」の宿命のようなものを感じた。
翌24日も、早朝から被災の爪痕を案内してもらった。地滑り現象で大きく削り取られた山肌には、すでに多くの緑が再生しており、長く尾を引く噴火災害との違いを想わせた。
但し、自然の猛威のもとに為す術もなく河川の中に沈んだ何棟もの被災家屋を目の当たりにした時には、思わず身がすくんでしまった。「いつか見た、悲惨な日常の光景」がそこに確かに存在していたからだ。
地元紙で、CATVで、コミュニティFMで、地域の安全対策のために何ができるのだろうか?新幹線の車窓の向こうに広がる越後の山並みを眺めながら、今度は眠れなかった。
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