2008/10/17

有明の満月を楽しむ!!…しばし〃借金〃の事も忘れて

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「環境は人を制す」と言うが、こうも良い天気が続くと、ついつい気持ちが高揚してしまう。銀行さんには悪いが、何だが「借金」のことも、まるで別世界の出来事のようだ。

昨夜(15日)は「満月」だった。一月ほど前に決行した「島原半島一周ウォーク」の際にも感じていたことだが、「有明海の月夜」は殊更に美しい。その思いも強かったので、昨夜はカメラ片手に秩父が浦にある知人の家を訪ねた。

午後六時過ぎ、はやる気持ちを抑えながらカメラに三脚をセットしていると、歌ではないが〈出た、出た月が。まーるい、まーるい、真ん丸い、お盆のような月〉だった。

実は、一昨日も長浜から猛島にかけて散策したのだが、この日は時間が遅かったこともあって、すでに月は頭上高くに位置し、やや青みを帯びた光が、辺り一帯を照らしていた。

他所のことは知らないが、「有明の月」の出始めは赤みがかっている。それが早朝の「日の出」を想わせるように、段々と熊本側から上がってくるのだ。

初めのうちは、か細い一本の線。それが時間の経過に沿って、次第々々に幅を広めていく。色は黄金色に近い。潮位の変化も見逃せない。さっきまで波間に浮かんでいた岩瀬がいつの間にか姿を消し、この海が「遠浅」であったことを再認識させてくれる。

沖合いを往く大型の旅客船が港に入るたびに、潮流が一気に変わる。遥か向こうの灯台の赤い光は、5秒に1回の割合でウインクを送ってくる。無人の島影からは、時おり鳥の鳴き声が聞こえてくる。知人によれば、野生のタヌキも棲息している、という。

元来が九十九島自体、約二百年前の眉山大崩壊でできた「流山」(ながれやま)だと言われている。そう、ここ秩父が浦は「県立公園」だった。それらは、島原半島三市が現在一体となって「ユネスコ認定」を目指している「ジオパーク」(地質公園)の、重要な構成要因の一つでもある。

1万5千人もの犠牲者を出した歴史的な大災害から立ち上がった先人たちも、毎年空気が冴えわたるこの時節には、こうして月の光を愛(め)でてきたに違いない。

「月には癒(いや)し効果がある」と言われて久しいが、その柔らかな照明の中に身を置いていると、確かに「安らぎ」を覚えてくるから不思議だ。

一夜明け、いよいよ今日は「十六夜」(いざよい)。朝一番、気分良く目覚めて東の窓を開けたら、鮮やかなオレンジ色の日射しが飛び込んできた。

さあ、新しい一日のスタートだ!!その勢いで、散歩の途中で山手を眺めると、昨夜の余韻を惜しむかのように、大きな「月の輪郭」が居座っていた。

ここは一つ、与謝蕪村に倣って〈コスモスや 月は西に 日は東に〉。字足らず、お粗末でした…。