2008/10/16

養老孟司先生の警鐘…本当に昔の日本は良かったか?

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

やはり我々を取り巻く「バカの壁」は相当に厚く、かつ高いらしい。『アエラ』(朝日新聞社・10月20日号)に掲載された養老孟司先生の「大脳博物館」というコラムを読んで、改めてその思いを強くした。

原稿用紙1枚半程度のわずかな字数で、事の本質をつく〃筆力〃はさすがである。今回のテーマは「日本が再びはげ山になるとき」。先生はまず、「森林破壊に話が及ぶと、『昔の日本は良かった』などと口走る人がいるが、本当だろうか」と疑問を投げかける。

その上で、「箱根」「六甲」という日本を代表する観光地(森林)の、今昔の様子の違いを引き合いに出して、人々の〃思い違い〃を正す。

先生によれば、「箱根」も「六甲」も、石油資源が活用されるようになって「緑」を取り戻したのだそうだ。つまり、昔の日本にとっての「燃料」は、森林から取れる「薪」(まき)に他ならなかったのだ、と。

言われてみたら、確かにそうだ。以前は「炊事」にせよ、「風呂焚き」にせよ、燃料はすべて山から取れた「薪」だった。火付けの際の小道具として、古新聞や枯れて茶色になった松の葉などが重宝がられていたことを思い出す。

「五右衛門風呂」もすっかり姿を消し、今では見かける機会も少なくなってしまったが、我々が小さい頃には、竹筒の先っぽに小さな穴を開けた「火吹き」という道具があった。

「五右衛門風呂」で言えば、サイホンの原理を先輩から教わったことを覚えている。今のバスタブのように排水溝など付いてなかったので、ホース内の圧力差を利用して残り水を汲み出す原始的な方法だったが、単純に面白かった。

「ゴーカキ」というのもあった。庭の落ち葉などをかき集める時に使う「熊手」のような物だが、その目途は「風情」などではなく、まさしく「生活そのもの」であった。

閑話休題。先生は我が国の行く末を、次のように危惧しておられる - 「森林をはげ山にしてしまった、間違った『過去』がありながら、国土をどう利用するかという将来計画がまったく見えてこない」。

また - 「自給すべきは食料だけではない。自然保護を視野に入れつつ、食料を含めすべてをどうするか(が問題である)」とも。

さらに続けて - 「『勝負』に弱い日本のことだ。エネルギーを買い負けし、木々を燃やして山を再び裸にする時代がやってくるのでは」と警鐘を鳴らす。

どうやら先生の今回の矛先は「宮崎県」(中山前国交相&東国原知事)に向けられているのではなかろうか…。最後はこう結ばれている - 。

「ころころ代わるのはいいが、おらが町に道路を造るための予算を分捕るための大臣だったら、誰がなっても日本の将来は目に見えている。すなわち山ははげるのである」と。