2008/10/28

やっぱ、先生は先生!!…〃手の内〃見透かされ脱帽

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

いくつになっても、先生は先生である。母校の口加高校で「国語」を教わったF先生(加津佐町在住)のことだ。

先月、福岡市内で開かれた「島原高校同窓会総会」に、筆者が出席した記事が目に留まったのであろう。「まったく君は母校のことは忘れてしまって」と、軽くお叱りを受けた。

その口加・福岡地区の同窓会総会が先週土曜日(25日夜)に、駅前の博多パークホテルで開かれた。細かく数えてはいないが、百人くらいは出席していたのではなかろうか。

残念ながら同級生は一人も参加していなかったが、同じく「あやめが丘」で青春の一時期を過ごした面々は、どこで会っても気のおけない〃仲間〃である。

思いもよらない後輩の訃報にびっくりしたり、ひょっとしたら今後ビジネス上の繋がりが期待できるかも知れない先輩とも出会えるなど、いつもながらの〃人間交差点〃であった。

さーて、件のF先生。一時期、島原高校にも勤務されていたことがあるので、ご存知の向きも多いかと思うが、筆者が紅顔の美少年だった高校生当時から、からっきし頭が上がらない、恐い存在である。

授業で何を教わったかは良く覚えてはいないが、生活指導部の主任教諭として、眼鏡の奥から放たれる、あの独特の〃鋭い視線〃で睨(にら)まれていたことだけは事実である。

自慢ではないが、筆者は生まれながらの健康優良児で、保育園から高校まではすべて〃皆勤賞〃で過ごした。もっとも、もその反動で、古里を離れてからの学生時代の暮らしぶりは、〃自堕落〃そのものであったが…。

F先生で今でも思い出すのは、ある寒い冬の朝の出来事。たまたま寝坊して昼近くに登校していたら、下足室で呼び止められた。

「おい、どうした今頃?」。一瞬ドキリとした挙句、咄嗟に口から出た言葉は「ちょっと風邪をこじらせまして、ちょうど病院へ行ってきたところです。大分楽になりました…」。

そんな間抜けな空言を〃百戦錬磨〃の先生が見逃すはずがない。「注射は?」「もちろん打ってもらいました。とても痛かったです…」。

「へーそう。それじゃ腕をまくってごらん。右?左?おかしいね、消毒液の臭いがしないようだけど…」。その後のことはすっかり忘れてしまった。

最近では「郷土史」の研究に余念がない先生だが、もともとは文才に恵まれた〃モノ書き〃である。「山岡荘八、五木寛之(当時売れっ子だった)…実に下らん。それらに比べると、文芸評論家の加藤周一の文章はスゴイ!!」

福岡会場で久方ぶりにお会いしたのだが、筆者の〃手の内〃を知り尽くしたご指摘には、改めてうなだれるしかなかった。やっぱ、先生は先生であった。