「年忘れ」VS「忘年会」…忘れていけないこともある!!
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
「忘年会」のシーズンである。昨夜あたりがピークかと思っていたが、日本全土を覆う「不況気圧」のせいか、タクシーの運転手さんの受け答えにも心なしか元気がない。
それでも「忘年会」は続く。昨日も、一昨日も、今日も、明日も、明後日も…。酔眼朦朧たる呆け面を鏡に映しながら「今年もあと何日…」と指折り数えてみる。嗚呼、全くもって「進歩」というものがない!!
加えて、数年前から鼻炎が続いており、クシャミと鼻水だけには事欠かない。巷の不景気風を横目に、毎日のように「拡大再生産」される、このオドロオドロシイ物体が、我が身の構成要素なのか?
そう言えば、最近は「青洟垂れ」というのを滅多に見かけなくなった。恐らく食生活の変化に伴うものだろうが、一方でそれは「肥満」や「高血圧」などという現代病をもたらしていることも間違いない。
さて、2学期の通知表が渡される日も近いが、数字や記号で表される「成績」そのものより、担任の先生が書いた「所見」の方が、後で読むと遥かに面白いし、記憶に残る。
筆者の小学1年時の所見欄にはこうあった - 「洟を洋服の袖になすりつけるのは止めよう。きちんとチリ紙で拭く習慣を」。確かに、今でも思い出すが、右袖の先端部分はやけにカパカパして、テカッていたような気がする。
この話を三男坊にしたら、腹を抱えて大喜び。「オヤジの威厳」など軽く吹き飛んでしまった格好だ。一瞬「しまった!!」と思ったが、もう遅い。最近は右手の中指と人差し指を鼻の下に付けて上げ下げしながら、ミスタービーンのように近づいて来る。
いかん、いかん!!今日のテーマは「忘年会」だったはずだが、いつの間にやら所期の目的を「忘れて」しまっていた。これも寄る年波のせいか、はたまた昨夜の深酒が原因か…。
故・宮崎康平さんとも親しかった作家の永六輔さんの著書『もっとしっかり、日本人』(ヴィレッジブックス)によれば、江戸時代には「忘年会」という表現はせず、「年忘れ」と言ったそうだ。
では一体、何を忘れるのか?通常の発想でいけば、「その年に起きた嫌な出来事」ということになろうが、本来的な意味はまったく異なる、と。つまりは、爺さんも、婆さんも、旦那も、番頭も、丁稚も…すべての年代層が「自分の年齢を忘れること」に由来するのだそうだ。
永さんはその本の中で、「忘れていいけど、忘れてならない事もあるよ。例えば、昔、日本人が中国とかで犯した残虐行為など」として、日中間にはびこる「考え方の違い」を取り上げ、解説している。
ところで、「忘」も「忙」も、その成り立ちは同じく「心を亡くすこと」。少し調べようか、とも思ったが、今日ところは「忙しい」ので止めておこう。嗚呼、また鼻水が垂れてきた。
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