2009/11/28

上から目線」はダメ…つくづく難しい処世の術

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

新政権による「事業仕分け」も一通り終わり、受け止め方は様々なようだ。大切な国家予算の使い道を天下に公開したという意味では、大変に意義深いとも言えるが、「上から目線」(?)で一刀両断にされる当事者の立場はまた複雑であろう。

「上から目線」と言えば非常に聞こえが悪いので、少し言い改めた方が賢明だと思う。ならば、どうか?と思案を巡らすが、なかなか適当な言葉が見当たらない。敢えて使うとすれば、「俯瞰的な物の見方」とでも言っておこうか…。

だいたいにおいて、この「上から目線」の切り口は、マスコミ関係者に多く見られる傾向がある、という。筆者などはマスコミでも何でもないが、先日、普段から親しくしていただいている某会社々長(年下)から、何とも手厳しいご指導を賜わった。

ここで名前を挙げてもいいのだが、迷惑が及ぶといけないので、それは止めておく。ただ、言われた張本人としては、いたく考えさせられる節もあったし、また敢えてそうした「諫言」をくれる彼の存在が頼もしくも思えた。

『眠狂四郎』シリーズなどでおなじみの直木賞作家、柴田錬三郎(シバレン)さんの随筆集に『地べたから物申す』(集英社文庫)というのがあって、これがすこぶる面白かったのを覚えている。何よりそのタイトルが気に入った。

「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていたかも知れない」とはよく言われるが、それは何も〃女王様〃に限った話ではないだろう。一国の歴史や世界史とまではいかないまでも、少なくとも個人史においては、鼻や背の高さがその後の人生を左右するということは十分にあり得る。

例えば、筆者にあと20㌢ほどの「タッパー」が備わっていれば、こんな雑文なんか書いていなかったはず!?道を歩いていても、電車に乗ったとしても、その「違い」は大きいのだ、きっと。

しかし、物は考えようで、地べたからの「ロー・アングル」で見る世の動きも、それはそれでまた興味深いものであろう。恐らく、シバレンさんも生きておられた当時は、様々な世の動きに対して、非常に腹立たしい思いで、観察眼を働かせていたに違いない。

話は脱線するが、シバレンさんは大学卒業時に朝日新聞社を受験するが、「都道府県の名前を挙げよ」とされた問題に腹を立て、「余は小学生にあらず」と書いてそのまま退席。その後は「読売一辺倒」であったそうだ。

これと似たようなエピソードを、森繁久彌さんが残している。旧制北野中学時代に出された「応仁の乱は何年」という問題に「バカバカしい」と答えて落第処分を受けた、というのだ。

鳥の眼で見るか、蟻の眼で見るか…。処世の術はなかなかに難しい。