2009/12/05

土佐さんは〃伊予産〃…サン・スポーツ創立20周年

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〈冬ざれや 号砲いっぱつ 青き空〉=寸胴。5日朝、折からの悪天候を吹き飛ばすかのような力強いピストルの音を合図に、若きランナーたちの健脚が島原の大地を駆け抜けた。ほかでもない!「島原学生駅伝」の一コマだ。

この日、島原地方の天候は、突風交じりの「冬時雨」で幕を上げたが、スタート時にはピタッと止み、時おり青空ものぞく絶好の「駅伝日和」となった。

申し遅れたが、冒頭の〃駄句〃は、筆者がスタート会場の市営陸上競技場で詠んだもの。「寸胴」というのは、「寸鉄、人を刺す」という物書きとしての願望をもじって付けた。勿論、自らの体型が「寸胴」であることも示唆している。

この日、晴れのスターター役を務めたのは、男子が島原市の横田市長。女子はマラソン競技でアテネオリンピックにも出場した土佐礼子さんだった。

土佐さんとは、今年めでたく法人設立20周年を迎えた「サン・スポーツ」代表の藤田昭比古さんの特別の計らいで、前夜の「食事会」(グレートダイニング城見)でご一緒させていただいた。

この原稿を書き終えた後、文化会館中ホールで行われる「トークショー」にも聴衆の一人として参加する予定でいるのだが、第一印象を言えば、「とても大らかで、おっとりとした人物」とお見受けした。

失礼ながら、お会いするまでは、土佐さんのことは「我が国を代表する長距離ランナー」以外の情報は、まったく持ち合わせていなかった。

聞けば、6か月の「身重」だというではないか。同行されたお母様もとても感じの良い方で、「この母にして!この娘あり!」との思いを強くした次第。

土佐さんは同じ四国でも「高知県」の出身ではなく「愛媛県」で生まれ育った。昔の呼び名で言うなら「伊予・松山」だ。食事会でもその辺りを皮切りに〃会話〃が弾んだ。

まずは筆者がいつものように〃知ったかぶりぶり〃を発揮して、「松山は子規以来の伝統をくみ、俳句が大変盛んな土地柄ですが、島原でも随分多くの方が俳句を詠まれています」と、軽いジャブ。その上で、「種田山頭火も昭和初期に島原の地を訪ねています」と切り込んだ。

すると、土佐さんの母上は「へー、そうなんですか!」と余裕たっぷりに受け止められた後で、初めて訪れた島原の印象について、訥々(とつとつ)と語って下さった。もう完全に〃位負け〃である。

これまた「たまたま」であるが、この日のNHKの朝のニュースでは、「松山城」の勇姿を紹介していた。そうだ、そうだ!!愛媛にはロウソクの里として有名な「内子町」もあるぞ。

これを機に、双方の間で交流が始まれば最高の展開なのだが…とも思う。ただ、その前に俳句の〃腕前〃を磨かねば!