鼻水ラッシュで奮闘中…JALは「鶴の恩返し」を
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
織田裕二が世界陸上中継で発する「きたーっ!」という奇声は、物まねタレントの山本高広によって流行語にまで飛翔して行ったが、筆者の風邪もまさにそう言った〃乗り〃で先週末から始まった。週を跨いで今日で5日目である。
回りくどい言い方をしてしまったが、要するに「新型インフルエンザ」への恐怖感である。結論から言うと、単なる「ノド風邪」で発熱もなく、体の節々が痛いという兆候もまったく現れなかった。
ただ、やたらと鼻水が出る。〃噴出する〃といった感じなのだ。さっき〃かんだ〃つもりなのだが、再度挑戦してみれば、ティッシュの中には確かな重量感が。おかげ、鼻の下は摩擦熱で赤く染まりかけている。
家の中に居る時はまだいい。問題は外出する際だ。一応マスクをして出かけるのだが、数分も経てばもう鼻水が垂れ始めているのがわかる。誠に厄介だ。
そんな状態で月曜日の午後から福岡、佐賀方面へ出張を続けている。いよいよ今日が最終日。やっと待望の島原へと帰れると思うと、いささか症状も治まってきたようだ。いやいや、油断禁物である!
英語の諺に「人は健康を失くしてみて初めて、その有難味を知る」というのがあったが、まさにその通り。地位や名誉、金銭…などに余り執着せずに、今在る状態を、素直に喜ばないといけない。
ところで、冒頭紹介した山本何某は「お笑い芸人になる前は福岡空港で働いていた」と、この前、とあるテレビ番組で話していた。その時は別段、気にも留めていなかったのだが、たまたま昨日その近くを車で通りかかったついでに、思い出した次第。
そう言えば、同じ福岡県出身者で今や〃文豪〃の誉れ高い五木寛之先生(生まれは朝鮮半島)も貧乏学生の頃に、「羽田空港のレストランでアルバイトをしていた」と、何かのエッセーに書かれていた。
時代状況からして、今のように「和」「洋」「中」が軒を連ねることもなかったろうから、そこそこ繁盛はしていたであろう。まあ、自身の経験則から言っても、食べ物商売のバイトの利点は今も昔も金銭の多寡そのものより〃飯付き〃ということだ。
恐らく、五木さんが羽田で汗を流されていた頃は、「今や経営危機に瀕している」とされる日本航空(JAL)などは〃全盛時代〃だったはずである。いや、その状態へ向けてまさに離陸しようとしていた矢先だっただろう。
それがわずか半世紀の間に…。いつからJALの経営が狂い始めたのか知らないが、個人的な思いを言えば、本来の「鶴のマーク」から現在の「3レターロゴ」に切り替えた辺りからだろうか…。
ここはひとつ創業の原点に立ち返って「鶴の恩返し」を願う。長年のJALファンの一人として。
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