2010/08/19

文春9月号に牟田さん…江川紹子さんがリーダー論

いささか紹介のタイミングを逸してしまったが、文藝春秋9月号に、島原警察署初代災害警備隊長の牟田好男さんのことを、フリージャーナリストの江川紹子さんが書いている。

牟田さんは今年2月に亡くなっているので、恐らく「初盆」への供養の意味を込めての寄稿だろう。題して〈雲仙大火砕流 法に反しても住民の生命を守った警備隊長〉。

実は1月ほど前に、江川さんから牟田さんの災害当時の行動に関する問い合わせが寄せられていたので、掲載されること自体は知っていたが、実際に活字になったものを見て、改めてうなずくことしきりだ。

〈「勝つ日本」40の決断・真のリーダーは一人で空気を変える!〉とのタイトルのもとに組まれた特別企画の中で取り上げられているのは、誰しもが「あの人!」と納得する著名人ばかり。

江川さんが心を込めたこの一文は、奥様をはじめ遺族の方々、或いは同隊長にお世話になった多くの人々の胸を改めて打つことは必定。ただ、現実問題として「幽明境を異にした」以上、以って瞑すべし、とも言える。

ところで、牟田隊長の死とは何の関係もないことだが、昨今の「坂本龍馬ブーム」を捉えて、島原龍馬会々長の八木國男さん(ゆうもあ亭オーナー)が先日、面白いことを言っていた。

「人間は2度死ぬ。1度目は肉体的な死。そして2度目は、人々の記憶からその人の名前が綺麗さっぱり忘れ去られる時だ」と。

勿論これは、織田信長らとともに、我が国史上常に1、2位の人気を争う龍馬ならでは〃存在感〃を指しての話だが、死んでしまってからでも話題に上る人間はそうそうあるまい。

「アウト・オブ・デイ・アウト・オブ・サイト」といった英語の諺にもあるように、「去る者は日々に疎し」だ。こうした人間の心境の変化はいつの世でも仕方のないことなのである。

まあ普通の人なら、7回忌を過ぎたあたりから徐々にその名が忘れられていくのは必然で、よほど社会的に貢献・活躍した人物以外で、半世紀以上も語り継がれていくことは極めて稀なことだろう。

ただし、親族の立場で考えれば、まったくの別物である。百年経とうが、二百年過ぎようが、ご先祖様というものは、未来永劫に〃尊い存在〃として敬わねばなるまい。

先般、我が家の法要の席でご住職から拝聴した都会の火葬場の話は、実にショッキングであった。それは「直葬」(じきそう)とか呼ばれるもので、ただその場で簡単な読経が行われるのみ。それで一切が終わるのだそうだ。

「葬式無用、戒名不用」と遺言に残した白洲次郎の生き様はいかにもカッコいいが、それでなくても日に日に忘れられていく我々凡人にとってはネー。