義兄(あに)は派手嫌いでして…「まだ死ねない!」と誓った夜
熱く、熱く燃え盛った筆者の「2010年夏」も、とうとう幕を閉じた。他でもない、生まれて初めての「精霊流し」である。
折からの夏風邪の影響もあって、体重は3キロ減。そう日を置かずして元の木阿弥に戻るのであろうが、心なしか体全体が軽いような気もする。
何はさて置いても、船を出すに当たってご協力いただいた全ての皆々様方に、心よりの感謝の誠を捧げねばなるまい。有難うございます!!
語句の響きとしては、「過去形」で表した方が相応しいのかも知れないが、その気持ちを忘れない意味でも敢えて「現在形」を採用させていただく。
6月末の葬儀の時点より、筆者の毎日は「雑事」ならぬ「仏事」に追われた。一日も欠かさず菩提寺の本堂に通ったし、お花も手向けた。位牌堂の花柴も小まめに換えた。
典型的な〃俗物〃の我が身のどこに一体、そんな殊勝な心が潜んでいたのだろう?不思議だ。
お盆の入りの13日に「満中陰」(49日)の法要を無事に済ませたあたりから、頭の中はもう精霊船一色!
船(三間モノ)の大きさに比して、「切り子」の数は足りるのだろうか?担ぎ手の手配は?全てが不安だらけであった。
しかし、それもこれも〃杞憂〃に終わった。町内会の方々、社員スタッフ、取引先、息子の恩師、友人仲間…本当に年齢の枠を超えた多種多様な人々に集まっていただいた。
なかんずく、一家を挙げて的確なアドバイスを下さった北田物産の皆様方には、何とお礼を申し述べたらよいのやら…。本当にお世話になりました!
順序が後先になってしまったが、亡くなったのは家人の祖母で、享年97歳だったから、それはそれで「天寿」と言っても差し支えあるまい。
とにかく、生前の祖母は派手好きなタイプで、謡曲の稽古などで外に出かける時には必ずサングラスを欠かさなかった。また、昔の女性にしては大柄な方だったので、原色系の洋服が良く似合った。
自慢話の一つは、銀座四丁目の三越前で道を尋ねられたこと。ただし、その時は「喋れば田舎者だとバレてしまうので、黙っていたのだ」と、語っていたことを懐かしく思い出す。
まあ、今さら死んだ人間のことを言っても仕方のない話なので止めておくが、ここ50日余りの過労がたたって、筆者はもうヘトヘトの状態である。
無事に精霊船を送り出した後、「次は俺の番かな?」と軽口を叩いたら、家人のすぐ下の妹が間髪を入れず、こう断を下した。
「義兄(あに)はとにかく派手なことが大嫌いな性格でしたので…」と言って、灯篭は全てお断りするのだそうだ。彼女より先には死ねない、と固く心に誓った。
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