2010/08/20

小学生ソフトが開幕!…「ひこばえ」に見る生きる力

夏の甲子園も佳境に入ってきていよいよ今日が決勝戦。まさしく「熱闘」が続いているわけだが、弊社主催の小学生ソフトボール大会も今日、開幕する。

島原市7、南島原市9の計16チームによるトーナメント。準決勝、決勝戦は22日。会場は三会運動公園だ。

ところでこの季節、決まり文句のように囁かれるのが「暑さ」だが、考えてみれば、至極当然の話である。実際に水撒きをしてみれば、その論理が即座に分かろう、というもの。

つまり「暑い」「暑い」と嘆いたところで、それは屋外でこそ感じるものであって、クーラーのよく効いた部屋の中に居て分かろうはずもあるまい。

地球全体の温暖化傾向が指摘されて久しいが、筆者は「その原因(一端)はクーラーの室外機にある」と考えている。

今の時代、大概の家では各部屋にエアコンが設置されているであろうから、その数だけ室外機もあろう。それらがフル稼働するのだから、戸外の温度が上がるのは当然である。

少し前にも書いたが、庭の水撒きをしていると、室外機廻りの地面は水を撒いたハナから見る間に乾いていくのだ。まるで濡れた布切れにドライヤーが当たっているような感じで…。

余り住家が密集していない閑散とした田舎ならともかく、ビルが乱立した都会地においては、比較にならないくらいの「熱量」が一斉に発散されているわけだから、街全体(ひいては地球)が暖まっていくのは当たり前のことなのだ。

ところが、人間は極めて勝手な考え方をする動物だから、後先構わず、自分の都合のよい所だけをつまみ食いしてしまう困った性癖を持っている。

迷惑をこうむっているのは物言わぬ花や木、雑草…などの植物だろうが、彼らは実に我慢強いし、逞しい。照ろうが、降ろうが、そんなことは一切お構いなしに根を張り、次々と新芽を出してくる。

毎朝、毎夕、水を撒きながら感心することしきりだ。感動的ですらある。また、人間もこうでなければ、とも思う。

収穫の秋にはまだ程遠いが、稲を刈り取った後や木の切り株から生えてくる若芽のことを「ひこばえ」と呼ぶそうだが、「温暖化」とともに大きな社会問題ともなっている「老齢化」においても、是非その精神を実践していただきたい。

恥ずかしながら、一首捻り出したぞ!「ひこばえの 尊き姿 今朝見たり 明日に繋がん 生きる力を」。

「お後がよろしいようで…」と結びたいところだが、まだ何行か書かねば、スペースが余ってしまう。オーイ、こにょろ君、何かないかい?

「エー、新聞とかけて坊主と説く。その心は今朝(袈裟)来て、今日(経)読む」。上手すぎると思ったら、他人様の作ということでした。チャン!チャン!