2010/08/25

意外と身近に幸せが…タマゴかけご飯の思い出

これはもう「油断!」としか言い様がない。二度寝して目覚めたら、時計の針はゆうに8時を回っていた。いささかバツの悪い思いで台所に出向いてキョロキョロしていたら、仇敵的存在(?)の母が猫なぜ声で「何ば探しよっとね?」と尋ねてきたので、咄嗟にこう答えた。

「そうですね。特段これっと言って無いんですが、強いて挙げるとするなら『シアワセ』ってやつですかね…」。我ながら「上手い答えだ」と舞い上がってしまったが、母は事も無げに「フン」と背を向けた。

「シアワセ」。漢字で書くと、「幸せ」であったり、「仕合せ」であったり - 。そう言えば〈両手のシワとシワを合わせてシアワセ〉なんて、何ともベタな仏壇のCMがあったよな…。

やはりそれよりも〈両手のフシとフシを合わせてフシアワセ〉とパロディ化した方が遥かに〃毒〃があって面白いよな。なぁ~んて、他愛もないことを考えながら、今朝のメニューはタマゴかけご飯。

筆者が子供の頃までは、タマゴはなかなか食卓に上がることのない〃高級品〃であった。若い人は信じないかも知れないが、嘘でも誇張でもない!

タマゴかけご飯にしても、1個溶いたのを慈しむかのように何回かに分けてチビチビと注ぎ込んだものだ。さすがに湯水で薄めるまでの経験はないが…。

一方で、学生時代にタマゴを沢山食べたという記憶は余りない。自炊より外食が多かったせいかも知れないが、当時で言う「ネコマンマ」の主役はマヨネーズであった。

炊き立てのご飯にマヨネーズと醤油をかけるだけの簡単レシピ。これが何とも美味かった!本来であれば、カツ節でも添えるところだろうが、それは贅沢というもの。

ただ、タマゴに関しては、以前にも書いたかも知れないが、どうしても忘れることのできない「感動譚」がある。

時は昭和50年代初頭。豆腐屋の2階に下宿していた頃の、とある私鉄駅構内の簡易食堂。改札を出て暖簾をくぐるなり一言。「スミマセンが、ご飯だけ下さい」。

すると、でっぷりと肥っていかにも人の良さそうなオバさんの顔色が見る間に変わった。「どうしたの学生さん、財布でも落としたの?」。

自分としては単純にお金を所持してなかったので、ごく普通に「ご飯単品」を頼んだつもりだったのだが、逆にオバさんを心配させてしまったのだ。

その時、「よかったらこれも食べなさい」と寄越してくれたのが、ホーロー碗に入ったタマゴ1個。まるで作り話ように思われるかもしれないが、紛うことなき実話なのである。

そうそう、申し遅れたが、今朝のタマゴかけの半分は母にあげた。幸せって案外、身近な所にあるんだよね、きっと!