笑えない、「笑い話」…わたしゃ、まだ生きちょるよ!!
すでに本人が亡くなっているのに、遺族が役所に届けを出さずに「老齢福祉年金」を詐取した事件(東京都足立区)はいまだ記憶に新しいが、幸いなことに、我が古里ではそんな不埒な話は聞かない。
ただし、日々絶えることのない新聞の「おくやみ欄」を見ながら、「えっ、あの家にそんな人いたっけ?」と、訝ることも度々。それもこれも、急速に進んでいる「高齢化」「核家族化」のなせるワザであろう。
何とも卑近な事例で恐縮だが、先日、ご近所のお宅で葬儀が営まれた際に、斎場の受付現場で交わされた「笑えない話」を一つご披露しよう。紛れもない「実話」である。
本欄でも幾度か取り上げたが、我が家ではことし6月末に、祖母が数え年97歳で天寿をまっとうした。周囲の皆様のご協力のおかげで、葬儀も、その後の法要も、そして初盆の精霊流しも、滞りなく終えることができた。
まあ、ここまでは極々普通の話であるが、我が上の町界隈でも「高齢化」の波は激しく押し寄せて来ており、家庭で介護できないような場合は、自然と福祉施設などにお世話をお願いすることになる。
一方で、普段から余り老人と付き合いのない若者の目からすれば、施設に入ったままの老人の存在は「無い」に等しい。別段、悪気があっての話ではなく、仕方のないことだ。
そこで起こってしまうのが「勘違い」という事態になる。今回の「笑えない話」もそんな背景の中で生まれたものだ。
「新聞社のお婆ちゃんが亡くならしたげな」という訃報を耳にした、近くのある商店主は、途端に耳を疑った、という。「えっ!昨日会うて話ばしたばかりとん…」。
我が家のことをご存知の方ならすぐに分かることだが、我が家には「大きいお婆ちゃん」と「小さいお婆ちゃん」の二人がいたのだが、件(くだん)の商店主は前者の存在のことを全くもって知らなかったのだ。
そのため、「新聞社のお婆ちゃん」と言えば、筆者の〃天敵〃である家人の母のことしか念頭になく、前述したような「思い違い」につながったという次第。
実は、この話を聞いた途端、筆者は面白おかしくて堪らず、家に帰るなり母にこう告げた。「あたんな、もう殺されちょるばない、○○君から」。
すると、母はゲラゲラ笑った後で、こう言って喜んだ。「そしたら、わたしゃ長生きすっばい。もう一回は死んどるもんば」。
結果として、「笑えない話」どころか、大いなる「笑い話」に変身してしまった、というわけだ。メデタシ!メデタシ!
ところで、人の悪い母は早速翌朝○○君のもとを訪ねて、「わたしゃ、まだ生きちょる!」と伝えてきた、とか。嗚呼、この調子じゃ、ほんなこて長生きしそうばい!!
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