2011/09/07

判っているのに何故?…「僥倖」に頼る人の愚かさ

「来る」と判っていながら、多くの犠牲者が出てしまう。猛威をふるった台風12号の災害報道に触れる度に、何ともやりきれない思いだ。

「経験」と「勘」にしか頼れなかった昔と違って、今の世の中では観測衛星等の進んだ科学技術を駆使して、台風の進路はおろか予想雨量さえ事前に察知できるというのに。

個々に背景は違うであろうから、断定的な物言いは禁句であろうが、何故「逃げるにしかず」を実践できない。それとも、「災害列島」とは名ばかりで、その実は、誤った「安全神話」が国全体にはびこっているのであろうか…。

今回、悲惨な土砂災害と多数の犠牲者を生んだ紀伊半島は、かつて仕事の関係で足繁く通った思い出の地でもある。また、学生時代の友人に、南紀・白浜温泉の出身者もいた。

テレビニュースのテロップや新聞報道で「橋本」や「那智勝浦」といった地名を目にしながら、冒頭述べたように、何とも言えない〃理不尽な思い〃に駆られているのだ。

県境を越えた奈良県の被害も甚大なようである。「十津川村」は所ジョージさん司会の人気番組『ダーツの旅』で取り上げられたし、何より「五條市」は島原城を造った松倉重政公ゆかりの地でもある。

将来、歴史を振り返った時に、この20年間というものは、「日本列島全体に各種の大自然災害が集中した時期」などと一括りにされてしまうのか?同時代を生きた者としては、それではあんまりだ。

とにもかくにも、「教訓」として遺していかないことには、後世の人々に申し訳が立つまい。言い換えるなら「智慧」。

つまり、今の災害対策のありようを見ていると、観測機器等のハードウェアは、当然の事ながら「かつてないほど」に長足の進歩を遂げている。

問題は、それらをどう活かしていくか(ソフトウェア)に尽きるわけだが、これがいつの世でも、例外なく上手くいかないから、困りものである。

一つには「自分に限って」「まさかここまでは」などといった、根拠のない「僥倖」(ぎょうこう)を、人間はつい当てにしてしまう動物である。

「愚か」と言ってしまえばそれまでだが、「そんな甘い状況判断など自分は絶対にしない」と、自信を持って断言できる人は皆無のはず。もし居たら、その人間は嘘つきだ。

おしなべて人は「ギャンブラー」(博徒)である。右に行くか、それとも左か、いつも迷っている。

ただ、住民の生命や財産を預かる行政組織に関しては、事はそう簡単ではない。次々に押し寄せてくる難問を淀みなく捌いていくことが「仕事」として求められるからである。

しかしながら、それも百%は無理。おっつけ、個人の判断に委ねられる。それが娑婆に生きる者の宿命だ。〈何を、偉そうに!?〉