一字変えれば大違い…懐かしい日教組全盛時代
今朝(7日)の読売新聞『編集手帳』には、先の小宮山洋子厚労相発言を引き合いに出して、面白い話が書いてあった。
昭和32年制作の名コピー〈今日も元気だ たばこがうまい〉も一字変えれば、〈今日も元気だ たばこ買うまい〉になってしまう、と。
その〃枕〃となっているのが「世の中は澄むと濁るで大違い」という箴言(しんげん)で、職務に忠実な余り飛び出た感のある新米大臣発言のオカシサを取り上げ、辛辣に嗤(わら)っている。
確か、くだんの名コピーを冠したポスターの背景を飾っていたのは、赤銅色に日焼けした、はちまき姿のオジさんたちだった。
筆者も印象深く覚えているが、「一服」という表現がまさにピッタリくる、何とも言えない幸せそうな表情であった。
いささか話は脱線するが、小宮山大臣の父君は学園紛争当時に東京大学の総長をされていた、加藤一郎さんである。
ご自身は良家の子女が多く集う成城学園(大学)を卒業後、NHKに入局。看板アナウンサーを経て、政界入りされている。
誤解を恐れずに言うなら、大臣はその成長過程で、はちまき姿のオヤジなど見たことがないのでは…。したがって、肉体労働後の「一服の味」など分かろうはずもあるまい。
ただ、昨今は世を挙げての「健康フェチ」ブーム。至る所で「禁煙」「禁煙」と叫ばれている状況を鑑みれば、無理からぬ発言だったのかも知れない。
恐らく、そうした「追い風」を感じての値上げ必要論だったのだろうが、どうにもあのニヤニヤ顔がいただけなかった。それに、あんなに「美形」だったのに、随分とお年をめされたことも、ウーン残念!
続いてのコラムは同日付の日経新聞『春秋』。こちらでは、野田内閣人事は「日教組色」が強過ぎないか、と疑念をぶつけている。
私事だが、筆者の中学時代は、日教組全盛の時期ではなかったか。専門教科の先生はおられず、放課後のクラブ活動に顔を出されることもなかった。
今でも鮮明に覚えているのは、体育の先生が受け持った国語の授業。教科書を順番に棒読みさせ、読み間違ったら次々と代わっていくという、何とも安直な進め方であった。
ただ、その当時は特段疑問に感じることもなく、それが普通だと信じ込んでいた。ある時、「電報文」の書き方を学ぶ授業があった。
「カネオクレタノム」という例題で、「文章は区切り方によって違ったものになる、という教えだった。「金送れ、頼む」と読むか、はたまた「金遅れた、飲む」なのかと。
そうした授業を受けながら、「大人の世界はウカウカ当てにならないぞ!」と後に思い至ったのであれば、日教組教育もそう悪いものではなかったか…。これぞ、清濁併せ呑む?
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