情理を極めて解決を!!…体罰問題は難しいだろうが…
「一瞬も、一生も美しく」。ズナイデン房子女史(島原市出身、資生堂ブランド企画部長)は、先に行った長崎市内での講演会でご自身の〝仕事の目的〟をそう強調されていた。
ここから先は筆者の勝手な解釈だが、人間の美しさというのは何も外見だけによるものではない、と思う。いかに美形であろうとも、ブランド品で身を固めようとも、まずは心身ともに健全であることが〝必須要件〟である。
つまり、顔の造作やスタイル云々だけで「美の価値」は決まったりなんかしない。かつて熊本市出身の大演歌歌手、水前寺清子さんが唄っていた。「ボロは着てても心は錦♪」と。そうした〝心構え〟こそが、まず求められるのである。
これまた筆者の独断&偏見であるが、長い人生においては、「カッコ悪さの中のカッコ良さ」(チビ、デブ、ハゲ)も厳然として在る。もっと言えば、それが「世の道理」というものだ。
想像していただきたい。自分の周囲が〝美男美女〟ですべて覆い尽くされている異様な光景を。映画の世界だって同じだ。脇役の存在があってはじめて、主役の美貌やカッコ良さが〝光り輝く〟のである。
ところで、数日前の朝日新聞デジタル版に面白い記事が紹介されていた。神奈川県小田原市の市立中学校の男性教諭(50代)が「死ね」「ハゲ」などと男子生徒にからかわれて、(教育指導として)16人を平手打ちした、というのだ。
さてさて、同記事に限らず、昨今は世の中全体で「体罰」問題が取り上げられているが、ひょっとして新聞やテレビの論調と一般国民(特に年長者)との間ではかなりの〝温度差〟があるのではなかろうか?
「体罰は是か?」と問われたら誰でも「否」と答えるに決まっている。ましてや、「イジメ」や「自殺」につながるような陰湿&過度の仕打ちは論外である。
誤解を恐れずに言うなら、昔から「体罰」、あるいは「それに近いもの」はあった。事実、筆者もよく叩かれた口だ。ただし、それらは「躾」(しつけ)の一環として、止むを得ず行われていたものではなかったろうか、と理解している。
生意気だから、自分の言うことをきかないから…。その程度の理由で「体罰」を加えるような狭量な人間は、端から教師には向いていない。一方で、生徒自身の言動にも問題が全く無いとも言えない(ケース・バイ・ケース)。
何はさておいても、人間の感情(脳内)を司っているのは「情」と「理」という2つの要素である。教師も生徒も「情理を極めて」こそはじめて、「愛のムチの正体」が分かるのだと思うのだが…。
【追伸】先の小田原の事件では、ケガ人は出ていない模様。よかった〝毛が〟なくて!?
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