2013/01/26

倫理経営講演会③…「運命」は「宿命」とは違う

人間にはそれぞれ「器」(大・小)というものがある。いくら良い考えやモノを持っていたとしても「器」に合わなければ、いつしかそれも失ってしまう。金銭にしてもしかり、だ。

さて、「自己革新」と「出会い」との間に在るのが「運命」である。「運命」は「宿命」と違って、いかようにも変えることが出来る

本日は経営講演会であるから、少しそっちの方向で話をすると、こんなご時世でも〝不況知らず〟のらつ腕経営者として知られる「日本電産」(本社・京都)の永守重信社長が面白い例え話をしておられた。

曰く「今の日本経済は無風状態での凧上げのようなもの。自ら走ろうとしないのだから、凧が上がるわけがない」と。

いずれにしても「変わる」のは大変なこと。しかし、「心」が変われば「態度」が変わる。「態度」が変われば「行動」が変わる。「行動」が変われば「習慣」が変わる。「習慣」が変われば「人格」が変わる。「人格」が変われば「運命」が変わるのだから。

その足掛かりとなる第一歩が「朝礼」。朝を制する者は人生を制する!

ところで、私の故郷・熊本県に八代という街がある。そこを通っている国道3号線沿いに「うどん亭」というお店があって、繁盛している。

店主はいわゆる〝婿養子〟で、結婚を目前にして(約30年前)、奥さんからこう打ち明けられたそうだ。「私の家は派手に事業を展開しているように見えるでしょうが、実のところ内情は〝火の車〟なんです。6000万円も借金があります」。

それに対するご主人の答えは「心配するな!」の一言。その話を聞いて、私が「スゴイですねー」と感想を述べたら、「いやいや、私は本来気の小さい人間なんですが、幼い頃の母の一言が耳にこびりついて離れないんですよ」という。

それは何十年も前のこと。八代市内は妙見宮の氷室祭で賑わっていた。親戚一同が集まってご馳走がふるまわれていたその席での〝出来事〟。

山のように積まれていた饅頭が大皿に1個だけ残っていた。まだ幼かった店主は食欲のおもむくままに、手をのばしてパクリ。

一瞬の沈黙。その直後、周囲から一斉に冷たい視線を浴びた。つまり、店主はまだ『肥後のいっちょ残し』(もう十分に足りていますよ、の意味)という風習を知らなかったのだ。

その気まずい雰囲気の中で、母はこう言ってのけたのだそうだ。「偉かぞ○○。これからの人生も、今のように〝積極的〟に生きていけよ!」と。

「躾(しつけ)云々の前に、自分を励ましてくれた母。そんなことがあったので、借金なんかに負けてたまるか!と思えるようになれたのです」という。     -つづく-