2012/12/22

あの頃に比べたら…仕事は沢山残っているが

今年も余すところ後10日。師走選挙の編集等の作業に追われて、飲み会の回数は〝激減〟。

「さぁ、これから取り戻すぞ!」と気合を入れ直したいところだが、いかんせん、やり残した仕事が〝山〟と控えている。はて、どうなることやら?

ただ、もう悩んでいる〝暇〟なんかない。指定された締切日までに何とか原稿を上げなくては!

てなわけで、連休期間中は朝から晩まで仕事&仕事の日程がぎっしり。チクショー!巷はクリスマスだと言うのに…。

ところで、毎年このシーズンになって頭をよぎるのは、青春期のほろ苦い思い出ばかりだ―。

【その①】20歳の頃。学生。行きつけの定食屋のオヤジの紹介で銀座4丁目にある蕎麦屋(ビル地下)で皿洗いのアルバイト。

昼休み(午後2時過ぎ)、白衣&長靴履きで三越界隈をブラブラ。周囲を見渡せば、カラフルに着飾ったハイソな人の群れ。北風がやけに身に沁みた。

客には、場所柄、芸能人&有名人多し。イナカモンの習性でボーっと眺めていたら、先輩から足で思い切り蹴飛ばされた。

当時住んでいたのは小田急沿線。イブの日。新宿駅で乗り換えようとしていたら、クリスマスケーキの投げ売りと遭遇。値段につられてつい買い求め、独り下宿で涙を流しながら全部食べた。

大晦日。京浜急行品川駅前で、年越しそばの店頭販売。「とにかく大声を上げろ!」の指示通りに動いて、完売。褒められたが、声はすっかり嗄れた。

【その②】25歳。旅行会社社員。誰も添乗に行きたがらない「年越し信州スキーツアー」(募集企画・大阪発着)に指名を受けた。

夜通し走って目的地(斑尾高原)に着くも、宿の手配がデタラメで、客からは「話が違う!」との大合唱。

仕方がないので勇気を振り絞って宿側と掛け合うが、「聞いてない!」の一点張り。余りにしつこく食い下がっていたら、やたら図体のでかいヒゲ面の兄ちゃんが出てきて首を絞められた。

それでも、何とか粘って部屋数だけは確保。真夜中、2㌔ほど離れた自分の宿まで徒歩で移動。月明かりに照らされた雪道は不思議なくらい〝幻想的〟であった。

翌朝、洗面所で鏡をのぞくと、首の周りに内出血の跡がクッキリ。帰社後、先輩に面白おかしく報告したら、渾名を付けられた。「クビノワグマ」。

まあ、そんなこんなで〝悲惨な年の瀬〟を過ごしてきたので、少々の事で驚いたりはしない。それに今は決して〝独り〟なんかではない。

母だって、嫁だって、筆者に対して少々つらく当たっているだけで、決して根は〝悪人〟ではないはず。否、そう信じて2012年〝最後の山〟を乗り越えて行こう。〔どうです皆さん、「他人の不幸は蜜の味」でしょう!?〕