2012/12/09

選挙にまつわる思い出…「本多VS吉岡」から早20年

島原市長選挙もいよいよ今日9日が投・開票日。前回と同じ顔ぶれによる現職と新人の一騎打ち。事前の予測がどうであれ、深夜には〝決着〟がつく。

人それぞれの人生だが、誰しも幾つかは選挙にまつわる〝思い出話〟をお持ちのことだろう。かく云う筆者とて例外ではない。

最初の記憶は中学時代。親戚(男性)が県議選に挑んで敗退したこと。選挙権もないのに、子供心に悔し泣きしたことを今でもよく覚えている。

長じて、大学生として上京した折には、「美濃部VS石原」の都知事選に遭遇。興味本位で石原事務所(新宿)を訪ねたこともある。また、クラブ(同好会)の仲間には当時の社会党委員長のお嬢様もいた。

社会人になって飛ばされた四国・徳島では、「後藤田VS三木」の熾烈な争い(阿波戦争)が際限もなく繰り広げられていた。

皮肉なことに、仕事の上では両事務所に出入りすることを許され、後に首相秘書官、鳴門市長などを歴任された三木派のYさん(故人)には格別に可愛がっていただいた。

足掛け6年余の徳島勤務を経て長崎に帰郷。その頃はいわゆるプータロー状態で、乞われるままに、大学の先輩に当たる某衆議院候補の選挙を裏方として手伝った。結果は負け。

島原入りしてからは「公平中立」を旨とせねばならぬ新聞記者として、様々な選挙戦をウオッチしてきたが、やはり一番印象深く残っているのは噴火災害の最中で行われた平成4年の市長選挙。

師匠筋に当たる現職大臣の威光を背に颯爽と出馬表明を行った本多繁希県議に、島原市の助役だった吉岡庭二郎氏が果敢に挑み、薄氷の勝利を収めた、あの伝説の選挙戦だ。

そうか、あの戦いからもう20年の歳月が流れたか…。本多氏はすでに鬼籍に入られ、吉岡氏は4期を務めた後に引退された。

その後、平成の大合併等の影響もあって、首長・県議選に限らず、島原半島地域における市議選の様相も一変した。

それもこれも〝時代の流れ〟に違いないが、選挙戦そのものが確実に盛り上がらなくなってきているような気もする。

長年にわたる地域経済の停滞が遠因なのか?それとも政治・行政に対する期待値が漸減し続けているのであろうか?

政治学者でもないから、その辺りの事情は分からないが、昔は選挙戦となると急に生き返ったように活発に動き回る〝名物〟がどこの地域にも必ず1人や2人はいた。

今でも思い出すのは当時中年だった某男性。選挙時にはテカテカした顔で我が家にも頻繁にやって来て「あの陣営には誰々が付いている」「もう勝負は決まっている」などと、余り当てにならないアングラ情報を提供してくれていた。

そう言えば、もう彼の姿をとんと見かけない。どこに行ってしまったのだろう…。