2012/11/06

カネオクレタノム!?…「電報の日」に思い出す

いやはや、今更ながらに痛感するが、月日の経つのは誠にもって早いもの。文化の日(11月3日)もアッ!という間に通り過ぎて、今年もとうとう残り2カ月を切った。

カーナビ情報によれば、5日は「電報の日」とか。改めてそう言われても、携帯電話があまねく普及した今の世相では、余りピンと来ない。強いて言うなら、葬送の際の「弔電」か、もしくは結婚式等で披露される「祝電」くらいか。

年配の方なら良くご存知の通り、以前、「電文」はカタカナ書きで送るものだったが、最近は、漢字と平仮名交じりが主流となっているようだ。

さすがに慣れていないせいもあって、カタカナばかりの文章だと、非常に読みづらい。ましてや、区切り方次第では、別の意味にもなりかねない。

もう40年以上も昔の話で恐縮だが、筆者が中学生だった頃、国語の授業で〝その旨〟を教わった。

例文は確か「カネオクレタノム」だった。普通に考えれば、「金送れ、頼む」との〝無心〟と捉えてしかるべきだが、その時、先生は「金遅れた。(ヤケ酒を)飲む」と読めないこともないと、ご教示された。

今になって別段、異議を唱えるつもりもないが、これからヤケ酒を飲もうとする際に、わざわざ「電報」を打つ人など実際にはいないだろう!?

あれから時代は移り変わって、今や何でもかんでも「インターネット」の世の中である。筆者のパソコンや携帯にもひっきりなしに「メール」が飛び込んでくる。

大半は愚にもつかない、いかがわしい内容の「迷惑メール」であることが多いのだが、よくもまあ飽きもせず送り続けることが出来るものだ、と感心しないでもない。

ただ、裏を返せば、その甘いお誘いに意外にも簡単に引っ掛かる人(被害者)が厳然として存在している、ということの証左でもあろう。

いつの世でも「便利さ」と「陥穽」(かんせい)とは常に隣り合わせである。簡単に手に入るものは、簡単に失いやすい。

仮に時間がかかってでも、苦労して手に入れたものには間違いは「少ない」。ここで「無い」と断言出来ないのは、それほどまで世の中は甘くはない、ということだ。
ただ、たとえ結果が伴わないにせよ、人間が人間である以上、努力を惜しんではなるまい。神様はきっとどこかで見守っていて下さるはずだ。

今日はあろうことか、柄にもなく生真面目過ぎる結びとなってしまったが、これも筆者の年齢のなせるわざである。とにかく最近は、神社・仏閣が大好きなのだ。

熊野古道に高野山、そして唐招提寺…。休日を利用して、ひたすら人として生きるべき道を模索する旅が続いている。合掌。