凡庸こそ我が使命!!…世の中は〝玉石混交〟
先週は、まったくもって「葬式ウイーク」だった。こんなに時候がよくなっているのに、親戚、知人合わせて6名もの関係者が亡くなってしまった。
不謹慎ながら、葬儀の際にいつも注目しているのは「遺族席」の顔ぶれ。まず鼻の形で直近かどうかを見分ける。2親等以内ならまず外さない。
お坊様の読経、説教も様々だ。「下手糞だなぁ」という人もいれば、なかなかに味わい深い話をなさる方もおられる。いずれにせよ玉石混交(ぎょくせきこんこう)が世の中である。
休刊日明けの各紙の紙面を見ると、色んな出来事が起こっていることに驚く。ソフトバンクがまた大きな買収劇(米国)を仕掛けているかと思えば、その傍らにはコンクリート詰めの殺人事件(尼崎市)。
フムフム、ナルホド、へーッ…などと感心したり、眉をひそめたりして読み飛ばしているのだが、やはり気になるのは地元関連の身近な記事だ。
祭り、イベント、スポーツ、頑張っている諸団体の活動紹介…。いずれの記事も面白く読ませていただいているが、やはり死亡欄が一番気にかかる。
広告欄も見逃せない。辛口コラムニストとして知られた故山本夏彦さんは「新聞記事のうそと誇張にはだまされる読者が多いが、広告では少ない」と喝破されているが、確かにそういった一面があるようにも思う。
ただ、明らかに〝誇大広告〟だ、というのも時々見かける。大概そういう場合は著名なタレントなんかが登場して、商品の効能を殊更に吹聴したりしている。
もちろんタレントとしては1つのビジネスとして請け負って出演しているだけで、法的には何の罪もないだろうが、いざ社会問題化した場合の心境ははてどうなのだろう?
「そんなの一々気にしていたら仕事なんかやってられないよ」と言うのだろうか?それとも「申し訳ない…」とでも?
個々には、スポンサーと所属事務所との間で結ばれた契約書の中に詳しく書き込まれているはず。ただ〝道義的な責任〟は免れまい、と筆者は思う。
いやいや、問題となることでタレントとしての〝存在価値〟に傷がつくことを想えば、むしろ被害者なのかも知れない。しかし、破格のギャラはもらっているだろうしなぁ~。
その点、さして責任もない筆者のような市井(しせい)の人間はいたって気楽なものだ。ひたすら目立たず、おとなしくしていれば、他人様から後ろ指をさされることもそうはあるまい。
還暦が近づいたとはいえ、平均寿命まではまだまだ。何かこう一発当ててやろうか!という気がしないでもないが、うららかな秋の日射しの中ではそんな〝野心〟も急速にしぼんでしまう。平凡こそが一番である!?
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