小原庄助さんて誰?…大河内伝次郎主演で映画にも
とある事情があって、このところずっと〝外湯〟に通っている。時々、朝風呂にも入っているわけで、何だかとても〝贅沢〟をしているようで、少々後ろめたい気もする。
そんな心境に拍車をかけるのが、かの有名な小原庄助さんの民謡だ。「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上(しんしょう)つぶしたぁ~♪」。
ネット情報で調べてみたら、民謡の舞台は福島県・会津磐梯山。ただし、小原庄助なる人物については特定出来るような史料は存在していないようで、幾つか〝諸説〟があるくらい。
【その①】江戸時代の豪商。材木で大儲けをして、東山温泉で連夜の豪遊をしていた、とか。
【その②】時代は幕末。苗字帯刀を許された郷頭という身分で、戊辰戦争に参加して戦死。会津若松市内に墓もある。
【その③】会津漆器の塗師。名は久五郎。会津から少し離れた白河の友人宅で客死。墓石の形は猪口と徳利。戒名は「米汁呑了信士」。
個人的には、③の人物のイメージか…。何せ、その辞世の句がこれまた面白い。「朝によし昼なおよし飯前飯後その間もよし」とある。
驚いたのは大河内伝次郎さん主演の映画(東宝)にもなっていること。昭和初期の大地主に姿を変えて、愛すべき〝飲兵衛〟として描かれているのだとか。
筆者も〝左党〟の端くれではあるが、さすがに庄助さんのように日の明るいうちは飲まない。ましてや朝酒なんて!さらに言うなら朝寝もしない!
当たり前だが、114年も続いたこの「島原新聞」(1899年創刊)を、何としてもつぶすわけにはいかないからだ。ただ、朝湯は断然気持ちがよい!
今から30有余年前、国鉄(今のJR)の初乗り運賃は30円だった。確かその頃、銭湯の入浴料は130円くらいではなかったか?よく覚えていない。
余り学校にも行かず、アルバイトに明け暮れていた学生時代。休日前には、1升600円ほどの合成酒を買って、下宿仲間とさんざん飲み明かした。
結果、全員の目覚めは翌日夕方の頃合いとなるのだが、中には悪いのがいて、酔いつぶれて寝ている間に全身に油性のマジックペンで〝落書き〟をされていることもしばしば。
そんなことなど露知らず、開店と同時に銭湯の暖簾をくぐっていくと、服を脱いだ途端に、番台のオバサンが大爆笑!ほろ苦い思い出の一コマだ。
最近では学生諸君も裕福になって、ほとんどがバス付きのワンルームマンション等に暮らしているようだが、それに比例して、銭湯の数も激減している、とか。
満々とお湯(温泉)が張られた大浴場に浸かりながら、ついつい昔の話なんぞを思い出してしまった次第。
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