2012/10/24

こその置き所に注意!!…小耳にはさんだ『いい話』

歌舞伎や演劇の世界に造詣の深かった直木賞作家の戸板康二(といた・やすじ)さんと言えば、『ちょっといい話』(オール讀物に連載)の名コラムニストとしても知られる。

戸板さんほどのキレもユーモアも持ち併せていないが、仕事柄あちこち出歩いているので、そうした類いの話題に出くわすこともままある。最近耳にした私家版『ちょっといい話』を幾つか―。

【その①】以前、スパルタ方式の教育機関に教官として勤務していたA氏からうかがった話。訓練生(児童・生徒)に対してかなり長時間にわたって精神統一のための正座をさせた後、頃合いを見計らって休憩を告げた。

「滅茶きつかったぁ~」「足がしびれてしまってもうダメ!」…などと、教室のあちこちからザワメキ声が上がった。

すると中に、生まれつき両足の無い訓練生がいて、こう呟いたそうだ。「いいなぁ~、君たちはしびれる足があって…」と。

一瞬、座はシーンと静まり返ったそうだが、それ以降は、どんなに長い時間座らせられても、誰一人として弱音を吐く者など出なかったそうだ。

A氏は、子どもたち全員の「思いやり」の深さにいたく感動するとともに、誰しもが潜在的に持っている「精神力」の限りない可能性を痛感させられた、という。

【その②】真言密教の聖地「高野山」(和歌山県)で、とある高僧から授かった和歌。《世の中は こその二の字の 置き所 治まるもこそ 乱るるもこそ》

いちいち説明するまでもなかろうが、ここでいう「こそ」とは、古文の中でよく使われる強調の意味の「係助詞」のこと。

さて、その「こそ」だが、それを自分に向けて使えば、人間関係はおかしくなってしまう。逆に、相手や第三者の存在や行為にくっつけると世の中はなべて丸く治まる、という教え。

凡例を1つ―。「私が働いているからこそ、家族や社員・社長は安心して暮らすことが出来るのだ」とうそぶけば、仮にそれが事実であったとしても、何となく押しつけがましい嫌味な響きとなってしまう。

これを転じて言うと、「家族や社員・社長の協力があったればこそ、私は安心して仕事に打ち込める」となり、人間関係もギクシャクしたりしない、というわけだ。

【その③】しばらく前に訪れた鹿児島市内で、とある「碑文」を見つけた。すぐにメモを取れば良かったのだが、あいにくペンも紙も持っていなかったので、うろ覚えだが…。

そこには確か3つの教えが書いてあった。「負けるな」「ウソをつくな」「弱いものをいじめるな」と。場所は明治維新の偉人を数多く輩出した「三方限(ほうぎり)」の一角。

簡明過ぎるようだが、今の世でも十分に通用する『とってもいい話』である。