2012/12/17

シーサイド島原が開業…〝地の利〟を活かして発展を!!

萩原高(たかし)さんという博報堂のシニアディレクターを務められていた方から以前に聞いた話―。「日本ではよく『○○ターミナルホテル』といったネーミングを見かけますが、あれは間違いですね」とバッサリ。理由を訊くと、「語感が良くない」というのだ。

「だって『ターミナル』とは『終着・終焉』の意味ですよ。恐らく、ローマの『テルミニ駅』辺りから来た発想でしょうが、何だか旅の終わりのような気がして、いただけませんね…」と肩をすくませた。

アサヒビール起死回生の「スーパードライ」をはじめ、今でも記憶に残る名だたるヒット商品の広報戦略を支えた〝名人〟のご指摘である。納得しないわけにはいかない。

さて、第46回衆議院総選挙まっただ中の15日、「島原小涌園」跡に完成した「HOTELシーサイド島原」の開業祝賀会が、盛大に開催された。

新装なった同ホテルを運営するのは、下田幸廣代表率いる「日進グループ」。総員80名の体制で、「観光島原の復活に全身全霊を挙げて邁進・努力する!」と宣言した。

来賓として招かれたのは中村法道知事、金子原二郎参議院議員をはじめ、メーンバンクの小幡修親和銀行頭取や地元政財界の代表など約400名。不肖筆者も社長代理として出席させていただいた。

私事で恐縮だが、今年はどういうわけか「シーサイドホテル」と接触する機会が多い。ざっと振り返ってみても、こんどで3件目である。

初回は鳥取県米子市の「皆生(かいけ)シーサイドホテル」。皆生温泉は霊峰・大山(だいせん)の麓に位置する、山陰地方を代表する温泉郷の一つだが、歴史は比較的新しい。

本格的な開発は大正半ばから。鉄道の敷設と併せた都市計画事業の一環として取り組まれた、という。中心となって活躍したのは有本松太郎翁。ホテル脇に胸像が建てられている。

次いで訪れたのが佐賀県唐津市の「唐津シーサイドホテル」。元の運営主体は「昭和自動車」という地元資本のバス会社だったが、後に独立。歴史は浅く開業は昭和43年。宿泊収容人員は「皆生」のほぼ1・5倍の約400名。

このホテルには私用と会社の出張で2度訪問。客室から眺める景色は、皆生のそれと重なり合って見えた。余談だが、現在の唐津市長の坂井俊之氏は国道を挟んで建つ「唐津ロイヤルホテル」のご出身だとか。

以上、愚にもつかない個人的な〝よもやま話〟でいじましくも行数稼ぎをしているわけだが、「シーサイド島原」は、かの「藤田観光」創業者の小川栄一翁をして唸らしめた〝超一等地〟に建つ。

先行する2社の同名ホテルを〝凌ぐ日〟が一日も早く到来することを、心から願って拙稿を結ぶ。