2007/01/30

田中正明先生の導きで - 色々あったが続けることに -

飲兵衛なら分かる感覚だと思うが、スナックなども、暫く足が遠のくと、何となくその店には入りづらいものだ。

原稿書きも然りで、幾度か試みてはみたものの、なかなか〃その気〃になれず、とうとう今日まで来てしまった。

その重たい背中を押してくれたのは、元長崎北高校長(島高時代は教頭)で、現在は長崎女子短大学長を務めている田中正明先生。先般、一冊の随筆集を頂いた。

先生は稲門の大先輩で、だいたい年に一回程度は長崎市内で開かれる総会(正月明け)でお見かけしていたが、今年は縁があって、数日前も九十九ホテルで、ご尊顔に接することができた。

頂戴した本のタイトルは「随筆ながさき」(第7号)。主宰者は田中先生で,頒価は税込みで600円。同号には56人の筆者が、思い思いの64篇を出品している。

その内の一人、橋本幸枝さんが著した「湯島吟行」は〃遺作〃になった、という。まったく面識のない方だが、先生から薦められるままに、作品を読ませていただいた。

〈舟旅は二十五分や皐月波〉〈舟虫の出迎へる島梅雨時間〉〈潮騒の島彩どりぬ海紅豆〉〈勾配の家並に繁し梅雨出水〉〈島めぐる人に藪蚊のつきまとひ〉〈この島は標高一〇五はまおもと〉

〈乱を知る鍛冶水盤や梅雨の宮〉〈はまゆふや猫と舟虫多き島〉〈一ちょ墓片手拝みや葛の花〉〈この島も梅雨の出水に山崩れ〉〈万緑や一揆の談合ありし島〉〈見回せば肥後も肥前も梅雨曇り〉〈日傘振り島に別れの水尾曳けり〉


思い立ってから3年目にして実現した「湯島」への吟行。ご本人もよもや〃遺作〃になろうとはつゆ知らずに書かれた随想であるがゆえに、却って痛々しさを誘う。故人のご冥福をお祈りするばかりだ。

島原市八幡町の山本喜世子さん(島原商工会議所女性会々長)も「今一度」と題して、比較的長目の随筆を寄せている。内容は先年亡くなった金剛流職分、赤星政之助さんの未亡人、千鶴子さんとの心温まる交流が、確かな筆致で描かれている。

文章を書くということはなかなかに〃根気〃を伴う作業である。才能満ち溢れた作家ではないが、書かなければ仕事にならないし、書けば書いたで「横着だ」「駄文だ」などとの謗りを受ける。

が、一方で「最近どうした。何かあったのか?」「楽しみにしているんだから、あんまりサボるなよ」との励ましもいただく。

昨年末から年明けにかけて色々考えさせられることもあったが、やはり本欄を続けることにした。嬉しい事、腹の立つ事…日々の暮らしは様々だ。末永くお付き合いのほどを。