普通が一番だよね… - 世の中いつも〃千差万別〃 -
ことしの公立高校入試も8日、終了した。我が家の「キンコ・スケヤク君」の出番もいよいよ一年後に迫った。心配だ。
高校入試で思い出すのは、初代防衛大臣を輩出した長崎県立口加高校に「1番」で合格したこと。誤解を招くといけないので解説するが、受験番号が「1番」だったのである。
当時は、新聞各紙に合格者の全氏名が掲載されていたので、当然、私の名前は「トップ」に記されていた。
その記事を見た親戚の一人が「マモルが一番で合格しとる!!」と驚いていたという話を後で聞いたが、悪い事ではないので、敢えて説明は避けた。
高校合格者に限らず大学合格者名等が新聞紙上を賑わせなくなって久しい。きっかけは、ある政治家が成人式に合わせて、一斉に祝電を贈ったことからだった、と記憶している。
まったく余計な事をしてくれたもんだ。そのトバッチリを受けたような形で、本紙の名物コーナーであった『こちら119番』も閉じざるを得なくなってしまった。
「プライバシー保護」と言えば、確かに納得できないこともないが、一方で「お祝い」や「お見舞い」の必要性を知らせる身近な情報手段がなくなってしまった。
一言でいって「世知辛い世の中」になってしまったもんだ。かつて日教組教育華やかなりし頃、運動会のかけっこで「順位」を付けないという愚行がまかり通っていた。
「何でも公平!!」「何でも平等!!」―。耳ざわりの良い響きだが、そんなキレイ事がいつまでも世の中で通じるはずがない。
勉強のできる子、運動能力に優れたスポーツ選手、力の強い奴、絵を描かせたらピカイチの才人…。人間はいつの世も〃千差万別〃である。
大切なのは全体のバランスだ。頭だけでも、腕力だけでも世の中は渡っていけない。それぞれに弱点をカバーし合ってこそ「暮らしやすい社会」が実現するのではなかろうか。
だいぶ前の話になるが、ワイドショーである幼稚園のお遊戯会を取り上げ、「主役の王子様がナント5人も!?」だとか言って揶揄していた。
その話を聞いた時は、「まあ、そんなんは特殊な事例だろう」と思っていたが、同じような話を伊豆大島に住んでいる妹から実際に聞いて慄然とした。
その点、我が家の三人息子は気楽で良い。カトリック系の幼稚園に通っていたが、一人として伝統の「聖劇」とやらで「主役」を張ったことがない。いわゆる「鼓笛隊の笛」だ。
勉強は苦手だが、オヤジの心を見抜くことにかけては人一倍の才能を発揮するキンコ・スケヤク君が通知表を見せるとき、いつもこう言う。「普通が一番だよね、お父さん」。
1 Comments:
こんばんは、初めまして。
小林正観さんを検索しておりましたら
こちらのブログがヒットしたので
お邪魔しております。
私も「釈迦の教えは感謝だった」
読みました!!
トイレ掃除、私もやっています。
4月25日に諫早で講演会があるようなので
お話を聞きに行こうと思ってます。
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