2007/04/29

鯉のぼりの起源は? - 海外へ開かれた「野球の窓」 -

 鯉のぼりのシーズンである。大空を背に元気に泳ぐ姿は、何度見ても、どこで見ても気持ちがいい。

 この風習はいつ頃から始まったのだろうか。そもそも「端午(の節句)」とは何ぞや。調べてみた。

 始まりは紀元前2-3世紀、中国・戦国時代の優れた政治家にして詩人でもあった「屈原」の故事に由来する、という。

 国の行く末を憂いつつも、陰謀によって失脚した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投じて亡くなってしまう。

 その命日が5月5日で、死を悼む人々が、屈原の死体を魚が食べないように粽(ちまき)を投げ入れて、舟の舳先に龍の首飾りを付けた。

 これが今日のドラゴンレースの原型で、やがてその風習は病気や災厄などを除ける「宮中行事」→「端午の節句」となり、日本に伝わってきた、と。

 一方、「端午」とは「五節句」の一つで、毎月初めの「午(うし)の日」のことを指していたが、「午」は「五」に通じることから5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになった、とも。

 我が国においては、宮廷文化が栄えた平安時代は菖蒲で飾った紙兜が流行。室町時代に入ると、武家では竹竿に布を張り付けた「吹流し」を立てた。さらに時代が下がって江戸時代になって、今のような「鯉のぼり」のスタイルに。

 「菖蒲湯」も子ども日の習わしだが、これは「菖蒲」が「尚武」につながるから。また、「鯉」は「滝上りをする」と言われるくらいだから、いずれも元気に育つように、と〃縁起〃を担いだものだと言えよう。

 さて、「コイ」と言えば〃下心〃たっぷりの「恋」の話もあるが、「鯉」の話で統一しよう。

 と言っても、コイはコイでも「広島カープ」の話。同球団は私が上京した年に〃悲願の初優勝〃を果たした。

 どういうわけか、クラスメートに医学部受験くずれの6浪の猛者がいて、そいつが広島県の出身で大のカープファンだった。

 この前、掃除のついでにアルバムを開いていたら、初優勝のニュースを大きく報じたスポーツ新聞を開いて、2人でニンマリとおさまっているスナップ写真が出てきた。

 以前に在籍していた会社の営業支部が広島市内にあったので、時々出張や研修で訪れていたが、常宿は市民球場のすぐ側にあって、遅くまでスタンドの歓声が伝わってきた。

 夜、先輩に連れられて飲みに行く先は、必ず主砲の山本浩二選手(後に監督)がひいきにしている「窓」というスナックに決まっていた。

 今や大リーグも「松坂VS松井」などと〃日本人対決〃で盛り上がる時代となった。広島ファンの巣窟だった「窓」を懐かしみつつ、海外へ開かれた「野球の窓」から眺めるゲームの醍醐味を楽しんでいる。