2007/05/08

2億円稼いでいますか? - 「全力東急!!」の精神忘れず -

 今日で連載109回目を迎えた。「だからどうした」と言われればそれまでだが、「一〇九」は語呂合わせでいけば「東急」(とうきゅう)だ。

 極めて個人的な話だが、学校を卒業してからしばらくは、「健康&文化」を売り物とした東急グループの会社に在籍していた。

 同グループの本拠地は渋谷にある。デパートや映画館、ホテルなどが建ち並び、街並みはさながら「東急村」だ。実際に「文化村」も登場した。

 創業者は、西武グループの生みの親、堤康次郎と並び称された五島慶太。前者が「ピストル堤」、後者は「強盗慶太」と、共に余り有り難くない〃異名〃を冠されていた。

 両グループとも鉄道事業を核に、不動産、流通、観光…と次々と触手を伸ばし今日の基盤を築き上げていったが、最近はともに頭打ち傾向だ。

 グループ合同の入社式は渋谷公会堂で行われた。訓辞を垂れたのは、二代目社長の五島昇さん(故人)。後に日商会頭などを歴任。「財界団十郎」の異名を持つ男前でもあった。

 昇社長は居並ぶ数千人の新入社員を前にこう語りかけた。「会社が君たちに支払う生涯賃金は一人約2億円だ。ということは、それ以上の利益を上げて貰わないことには、経営は成り立っていかない」と。

 極めて直截な言い方で、ボンクラ頭でも理解できたような気がしたが、実践となると、なかなか難しいのは〃世の常〃だ。

 採用先は意に反して、縁もゆかりもない四国の徳島県だった。研修を終えて、新幹線を乗り継ぎ、宇高連絡船から眺めた夕焼けの色は今でも忘れられない。悔しくて、悲しかった。

 というのも、個人的には、駅前にその年オープンしたばかりのオシャレなファッションビルで働けるもの、とばかり思い込んでいたからだ。

 徳島の営業所は東京とは打って変わって、うらぶれた駅前商店街の一角に開設されていた。錆び付いたシャッターをやっとの思いで開けると、ソロバンを振り上げて喚いている、赤ら顔の初老の男がいた。所長だった。

 恐る恐る自己紹介すると、キッと睨みつけるような視線が飛んで来た。「学生運動の経験は。なにーっ、ノンポリか」。心底、大変な所に来てしまった…と悔やんだが、後の祭りだった。

 所長は能登半島の裕福な網元の家に生まれたが、家運が傾き大学を中退。組合運動の闘士としても有名で、「鬼の○○」として恐れられていた。嘘か本当か知らないが、女優の朝丘雪路の従弟とか言っていた。

 何だか、今日は「一〇九」回にちなんで、「自分史」のような書き方になってしまったが、今でも心に残っているキャッチ・コピーがある。

 「全力東急!!」。その精神だけは今でも受け継いでいるつもりだ。