2007/05/09

こんな女に誰がした - 歌は世につれ、世は歌につれ -

 さて、110回目。今度は「一一〇番」の話かと想われる方もいらっしゃるかも知れないが、幸いにしてこれまで、その番号にお世話になったことはない。

 ただ「職務質問」を受けた経験は幾度かある。今でも憶えているのは、北九州の小倉駅。確かその時は、皇太子ご夫妻が沖縄を訪問されていた。

 恐らく、その風体に何かしら怪しげな雰囲気が漂っていたのだろう。思想的には全くのノンポリ。当時から単なる「ミーハー」に過ぎないのだが…。

 ところで「ミーハー」と言えば、青春の一時期、作家「五木寛之」的なものに憧れていた。長髪をなびかせ、思慮深げに遠くを見やる…。「自分もいずれ、あの雰囲気を醸し出したい」と願っていたが、今や対極路線をばく進中だ。

 その五木寛之氏の単行本と週刊新潮(GW特大号)を先般、同時に買い求めた。本の題名は『わが人生の歌がたり・昭和の哀歓』(角川書店)。元々はNHKの『月刊ラジオ深夜便』に連載されていたものだ。

 新潮の特集記事は「こんな女に誰がした」というタイトルで、世間を騒がせた各界の女性24人の〃波乱万丈〃のその後の人生を追っている。

 五木作品は昭和折々の〃流行歌〃の歌詞の内容を紹介しつつ、当時の世相を筆者の個人史と重ね合わせながら、味わい深く解説している-。

 今回、週刊誌のタイトルともなった「こんな女に誰がした」のフレーズは、五木氏が中学生だった戦後間もない頃に流行った『星の流れに』(清水みのる作詞、利根一郎作曲)という作品に織り込まれている。

 《星の流れに 身を占って 何処をねぐらの 今日の宿 荒む心で いるのじゃないが 泣けて涙も 枯れ果てた こんな女に誰がした》

 《煙草ふかして 口笛吹いて あてもない夜の さすらいに 人は見返る わが身は細る 町の灯影の侘しさよ こんな女に誰がした》


 本によると、歌のモデルとなったのは、旧満州の奉天から引き揚げてきた22歳の元看護婦さん。ある新聞記事が、生きるためにやむを得ず身を落としていく彼女の姿を取り上げたことがきっかけとなった。

 作詞、作曲家ともその記事に大変なショックを受け、義憤にかられて一気に作品化。五木氏は「菊池章子さんの歌いぶりは、なにか昂然と胸を張って北風に向かって立っているという感じです」との分析を添えている。

 言い古された言葉だが、まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」だ。それぞれの人生の節々で、それぞれに忘れ難い歌がある。

 個人的にはフォーク世代だが、先日、居酒屋の「網元」で流れていた二葉百合子さんの歌声に体が震えた。こんな〃バカ息子〃に誰がした?「母の日」(13日)も近い。