年々歳々花相似たり… - 森川助役さんのご冥福を祈る -
CATV業界の会合があって、これから佐賀県伊万里市へ向かう。伊万里と言えば、毎年ゴールデンウイーク期間中に開かれる「陶器市」が有名だが、残念ながら、まだ行ったことはない。
今回は宿泊を伴うので、時間があればウドン用の大丼でも買ってこようかと思っているが、「また余計な買い物を!!」と、同時に家人の怒りも買ってしまうのは必至か。
島原新聞の創始者、清水繁三氏は、現社長の祖父に当たる人だが、東京専門学校(後の早稲田大学)を卒業の後、伊万里の裁判所に勤務していた、という。
どういう経緯でこの地に新聞社を興したのか知る由もないが、佐賀出身の大隈重信候の教えに、少なからぬ影響を受けたことだけは間違いない。
大隈候と言えば、外務大臣だった明治22年当事、国家主義者(玄洋社)による襲撃(爆弾)を受け、右脚を失ってしまう。
「人生125年」説が持論で、生前は「人間はきちんと暮らせば、125歳まで生きられる」と吹聴していた、という。
ことしは同候ゆかりの早稲田大学が創立125年目を迎え、10月21日には、盛大に記念式典が開催されることになっている。
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長崎市五島町の一角に「到遠館」(ちえんかん)という石碑が建っている。地主は同じく佐賀県の宮島醤油。
大隈さんは若い頃、その地で「英語塾」を開校。したがって「早稲田大学の本籍地は長崎だ」と言っても決して過言ではない。
そうした縁もあってか、ことし2月には同校OBが「到遠館」に集まって気勢をあげた。
次に立山の歴史文化博物館に会場を移動。長崎-東京間1250キロをリレー方式でつなぐ「ウオークラリー」の出発式が賑やかに挙行された。
長崎南高校吹奏楽部による「都の西北」の演奏の後、座付きの劇団員が寸劇を披露。続いて、大隈候役の役者から伊藤一長市長(当時)に「通行手形」が手渡され、足掛け2カ月半にわたる強行軍がスタートしたわけだ。
予定ではきょう5月12日に大隈講堂に到着することになっているが、それより何より、伊藤市長がそのわずか2カ月後に〃凶弾〃に倒れようとは一体誰が予測したろう。
「年々歳々 花相似たり 歳々年々 人同じからず」。人生とはつくづく儚いものだ。
鐘ヶ江管一市長と二人三脚で島原市勢の発展に寄与し、続く吉岡庭二郎市長の誕生にも尽力した森川末承元助役が9日、亡くなった。享年81歳。
森川さんからは長男誕生を祝って木馬の玩具をいただいた。その長男もはや大学生。廊下の片隅で薄っすらと埃を被っている木馬を眺めつつ、ご冥福を祈っている。
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