韋駄天だった隆平先生 - 対抗リレーは人生の縮図だ -
13日の日曜日は三男が通う島原一中の体育祭だった。この日は他校でも開催されていたから、家族団らんを楽しまれた方も多いと思う。
前夜の雨でグラウンドには適度に湿気があって、観戦する側もホコリを被ることもなく、最高のコンディションであった。
競技の花形は何と言ってもクラス全員で走る「対抗リレー」だ。最初のうちトップで走っていたチームが追いつかれたり、転んだりと、何かしら人生の縮図のようでもある。
勉強では余りパッとしない劣等生が〃脚光〃を浴びる檜舞台でもあるし、「先頭で来なければいいのに…」とバトンを受け取る前から、不安ばかりが先立つ鈍足君もいる。
昼食後に行われる「応援合戦」も見所の一つだが、どうして男の子が女の子のスカートを穿いたり、女の子が学生服を着たりする必然性があるのか。恐らく、思春期独特のうっ屈した思いの発露だろうが…。
まあ、そうした仮装趣向は、せいぜい体育祭くらいまでで留めておいてほしい。くれぐれもクセになったりなんかしないように!!
「待ってた、待ってた運動会。ワーイ、ワーイ赤(白)組だ。駆けっこだって負けないぞ。フレッ、フレッ、フレー」--。
子どもが幼稚園に通っていた頃に、良く耳にした歌のフレーズだ。さすがに中学校では聞けなかったが、成長した三男の姿を遠めに見ながら、我が人生の〃来し方〃を振り返った。
昔は「ハダシ足袋」が運動会の定番だった。ちょうど和装の白足袋のような形をしていた。確か、一足80円くらいではなかったか(昭和30年代)。
その「ハダシ足袋」を履くと、何かしら走るのが速くなったような気がしたが、本番での番狂わせは余りなかった。ただ、運動会は、田舎ほど賑わっていたように思う。
そう、運動会は地域の一大イベントだったのだ。テント中央の来賓席には校長先生の隣にヒゲをはやした議員先生が並び、顔役の子弟や孫子らが鼓笛隊を先導して始まった。
そう言えば、「鼓笛隊の笛」という自虐的な表現で、ガキの頃に思いを馳せる輩も多い。
つまりは、隊列後部の内側に位置すれば、きちんと演奏ができなくても、先生や観客にバレることはない…」という劣等生なりの知恵であった。
一方で〃スター〃も登場した。地区対抗リレーのアンカー役を務める〃韋駄天〃の存在だ。一人抜き、二人抜き、ゴール直前でトップに躍り出る!!
これは2年ほど前、森岡百三郎さんから聞いた話。「中村隆平先生(医師会名誉会長)は若い頃、とにかく俊足で、運動会荒らしとして有名だった」とか。
こんな事を書くと「余計な事を!!」と〃大目玉〃を喰らうかも!?
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