2007/05/25

我々は皆「親の子」 - 相手のことを忖度しよう!! -

 一番「処置」に困るのは、頭の悪い「自信家」である。筆者もその部類に入るのかも知れないが、回りにはもっともっとヒドイのがいる。

 人間の頭の良し悪しは別段、学校の成績なんかで決まるものではない。要は相手の立場、心境を慮る「想像力」と言い換えても差し支えないだろう。

 難しい漢字の読みだが、「忖度」(そんたく)という言葉がある。広辞苑で引くと「他人の心中をおしはかること」とある。

 もっと言い換えるなら「思いやり」だろうか。それは人間関係の緩衝材であり、観光地でやたらと使われたがる「おもてなし」の精神にも通じる。

 果たして、職場や環境等が異なる中で、しっかりと「思いやり」の精神が発揮されているかどうか、それぞれ冷静になって問い直す必要があろう。

 本人からすれば、何げない発言が、時として許し難き「暴言」として受け止められることも。つまりは「お前さんにシタリ顔して、そこまで言われる謂れはないよ!!」と。

 自分は「安全圏」に身を置きながら、賢しげに「批判」ばかりする輩も何と多いことか。他人のことを批判するくらいなら、リスクを背負って、自分で実際にやってみたらいい。

 人間は一定の「地位」や「名誉」(のようなもの)を手に入れたら、自分独りの力で為しえたもの、とよく勘違いする。そして愚かにも、自らの非を省みることもなく、自信満々で的外れな発言をする。

 実るほど頭を垂れる稲穂かな - 。本当に賢い人は、どんなに偉くなっても、世間から一定評価を得ようとも、どこか一歩引いた言動に終始するものだ。

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 「親ん子」。島原青果卸販売(株)の加藤辰彦社長の口癖だ。「親思う 心に勝る 親心 - 」と、吉田松陰は親子の情愛の差異を詠んだ。

 切り口は異なるが、武田鉄矢の母の台詞も泣かせる。「他人様の事を指差して、嘲笑したりなんかするな。人差し指以外の指はみんな自分を指している」。

 でも、本当に楽しい「笑い」なら話は別だ。その効用は医学的にも実証されているそうだ。

 ところが、最近は洒落にもならないというか、笑えない話が多過ぎる。子どもが母親を殺し、切り取った頭部を持ち運ぶ。恐ろしい限りだ。

 10年ほど前、世間を震撼させた神戸の「酒鬼薔薇聖斗」事件の犯人は、成人して社会復帰を果たしている、という。

 被害当事者にとっては、どんなに時間が経とうとも、割り切れない思いで一杯だろう。それでも何の手出しもできないし、かといって毎日悲嘆にくれて生活していくわけにもいくまい。たまには「笑う」こともあるだろう。

 このような、やるせない思いを救えるのは、お釈迦様だろうか、キリスト様だろうか…。