教育崩壊は地域崩壊 - 地域メディアの可能性と責任 [2] -
田原さんと、ばばさんの対談は約1時間にわたって繰り広げられた。以下はその要旨-。
【ばば】放送事業に係わる者はみな「公共心」を持っていなければいけない、と思う。社長だけでなく社員スタッフも。
【田原】それはそうですね。天下りの問題で言うと、テレビ局も官庁と変わりませんね。テレビ朝日は私とも関係の深い局ですが、前の広瀬社長にも言ったんですよ。「新聞社出身の社長は貴方で最後にして下さい」と。ところが、その次の社長もまた新聞社からやって来た。(笑い)
【ばば】インターネットの世界で言うなら、CATVの明らかな敵は通信事業者ですよね。それが、今度は同じようにテレビ番組を流そうとしています。CATVの武器って一体何でしょう。「地域密着」、あるいは「地域のためになる放送局」と言い換えても良いと、私は思っています。つまり、それが「公共心」ではないか、と。
【田原】話は飛躍するようですが、2011年は大変な年になります。関係者は薄々気づいているはずですが、対策はゼロといった状態です。端的に言うと、1チャンネルから12チャンネル全てに、コンテンツメーカーが殺到してきます。言い換えるなら、既存の放送局が受像機を独占できなくなるわけですよ。
【ばば】そうした中で、CATVにとって大切なのは、地元の視聴者の方々から「自分たちのテレビ局だ」と思ってもらえるかどうか。それが存続のカギになってきます。
【田原】そうした意味では、ローカル局は遊んでいますね。レコード会社が何故なくなってしまったのか。昔は作詞・作曲・歌手がいて、工場があって、宣伝システムがあれば、経営できていた。ところが、CDが登場して工場はいらなくなったし、今や音楽は配信の時代。2011年以降は、恐らくCDショップもなくなるでしょう。
【ばば】これまで、中央と地方は固く結ばれていたが、様々な技術革新でその蜜月時代は終わりました。だからこそ、地方にとっては「自分たちの局」が余計に必要になってくるわけですよ。もっと言うなら、CATVはソフトウエアの中継業者になったらダメ。必ず時代は変わります。
【田原】時代認識で言うと、いま国主導で「教育再生会議」なるものが生まれていますが、あれはまったく無意味。何故なら、「教育崩壊」とは「地域崩壊」に他ならないから。私が尊敬している、ある中学校の先生が言っていました。昔は新人の教師が着任すると、地域の顔役に必ず挨拶に回っていた。それが今はなくなってしまった、と。
【ばば】団地造成が地域コミュニティを崩壊させた!?教育はつまるところ「現場の問題」「地域の問題」であるのに。しかしながら、それはイコール「国、地球の問題」でもあるわけなんですね。
‐つづく‐
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